火災で正殿が焼失した首里城(那覇市)の地下にあり、75年前の沖縄戦で軍事的中枢だった旧日本軍第32軍司令部壕の公開を求める動きが活発化している。沖縄県は公開する方針を一度決めたが、崩落の危険があるとして実現していない。壕を調査した有識者らは「戦争の醜悪さを語り継ぐため、平和学習の拠点とすべきだ」と声を上げる。

 五つの坑道で結ばれ、作戦室や無線室に加え、浴室や便所も完備された司令部壕。県などの資料からは、司令官や兵士、学徒隊ら約千人が雑居し、熱気や湿気、異臭が漂っていた実態がうかがえる。1944年12月から掘削が始まり、45年3月に司令部が入った。