国際リニアコライダー(ILC)計画は、日本政府による国内誘致の検討作業が年数を経ても前進せず、実現に向けた関係国の意欲低下が危惧されている。計画を長年推進する素粒子物理学界の重鎮、リン・エバンス氏(77)=英国出身=と建設準備に当たっている国際推進チーム議長の中田達也氏(67)に世界の現状や課題意識を聞いた。

(2氏にはスイスでインタビューした)

 

政治レベルの進展を

素粒子物理学界の重鎮(英国出身) リン・エバンス氏

「日本政府から意欲が示されなければ、他のホスト国を探さなければいけない」と述べるリン・エバンス氏

 ―国際推進チームは年内にILC準備研究所(プレラボ)を設置する予定だったが、文部科学省の有識者会議から「時期尚早」との指摘を受けて見送りとなった。日本の対応をどう評価する。

 「本来はプレラボでILCプロジェクトの推進を支えるべきだったが、日本政府はそれを望まなかった。米国は当初、とても前向きな姿勢でサポートしてくれていたが、日本側からの具体的な提案がなく、諦めてきた感じがする」
 「日本の政治レベルの動きも鈍った。100人を超えるメンバーが推進していた国会議員連盟は、活動が後退した気がする。以前は首相と会って話せたり、高いレベルで議論が進んでいたが、そういう動きは今はない」

 ―エバンス氏が2013年に本県を訪れ、ILC建設について「北上山地(北上高地)だけで検討する」と明言して9年がたつ。

 「地質がILCに適している。もし、日本で建設するならば、必ずここになると思う。(ヒッグス粒子の研究拠点として)欧州合同原子核研究所(CERN)に新たな円形加速器を造る話や中国からの提案もある。だが、個人的にはILCが一番良いと思っている」

 ―ILCを推進してきた世界的な有力研究者の間で「日本以外の候補地を探すべきだ」との声も出始めているようだが。

 「現時点で他の候補地は検討していない。今でも日本で造りたいからだ。しかし、日本政府は新しい委員会を設立しては、報告を出すことの繰り返し。やりたいかやりたくないか言うためだけに、そんなに時間がかかるのは分からない」
 「進展がないために、世界のフラストレーション(いらだち)は100%に上がった気がする。技術面もさることながら、政治レベルの進展が大事だ。向こう1年で進展がなければ、日本での計画はなくなるかもしれない」

 ―実現に向けて、日本政府がなすべきことは。

 「現段階ではホスト国になると約束しなくていい。『サポートしてくれる国があれば、私たちはホスト国になる』と言えば十分で、費用分担に向けた本格的な話し合いに入れると思う」

 ―CERNの設立は第2次世界大戦で分断した欧州を科学の力で一つにまとめる目的もあった。世界は今、ウクライナ危機など混迷を深めている。

 「CERNは対立している国々の人たちが協力するところ。宗教も人種も気にすることなく、科学だけを大事にしている。政治家が何をやろうとも、物理学者とは協力し続けたい。CERNのような研究機関は、国連よりも国際的な協力を推進していると言っていい」

(聞き手は川村公司常務)

リン・エバンス氏

 70年、英スワンジー大卒。LHCのプロジェクトマネジャー、英国内外の物理委員会の委員長など歴任。01年大英帝国第3級勲位受勲。13~20年LCC代表。77歳。英ウェールズ出身。

 

プレラボ設置が必要

国際推進チーム議長 中田 達也氏

「ILCに必要な費用を確定させるためにプレラボ設立が必要だ」と説明する中田達也氏

 ―国際的な費用分担の協議が進まない背景をどう分析するか。

 「日本政府は、事前に外国からどれくらい支援を得られるのか見極めないと協議について言い出せないという立場。これに対し、関係国は『やりたいと思っている人が手を挙げないと話にならない』と考えており、ボタンのかけ違いが起きている。日本は国際プロジェクトをどういう道筋で進めていくべきかをはっきり分かっていないと思う」

 ―チームは年内にプレラボをつくる予定だったが、見送りとなった。

 「ILCにどのくらい費用がかかるのか、人が要るのかをはっきりさせないと、資金分担の話ができない。後になって、ものすごくコストが高くなるのを防ぐために技術開発をできる限りやらなければいけない。だからプレラボが必要だ。これをつくったからといって日本が『必ず誘致しなければいけない』ということではないのに、ある意味で誤解されている」

 ―チームの当面の活動方針は。

 「柱は二つある。一つは国際間の理解を一致させること。道筋を付けるため、研究者による新たな国際有識者会議を設置し、議論を始めたばかりだ。並行して、加速器の技術開発を進め、完成度を高めていく。プレラボは、国際協議を進める上でも必要だ。確実にステップを進めたい」

 ―ILCを推進する国際将来加速器委員会(ICFA)は、日本がホスト国になることを支持する表明を繰り返してきた。実現可能性をどうみる。

 「CERNは大型円形加速器の実験があり、すぐには対応できない。米国は(素粒子の)ニュートリノで手いっぱい。世界の研究所を引っ張れる環境にあるのは日本しかないと思う」
 「ただ、日本が『誘致する』と手を挙げれば、関係国がわれもわれもと乗ってくると考えるのは、ちょっと違う。新型コロナウイルス禍での財政出動もあるが、それ以前から財政的に余裕のある国はない。日本が科学技術にとどまらず、外交面、経済面まで含めて一生懸命にメリットを説き、外国と議論すれば良い結論が出ると思う」

 ―日本国内の検討作業が長期化する中で、ICFAが4月に出した声明は「国際的議論の進展を1年間見守る」と期限を区切るような記述を盛り込んだ。

 「われわれは最終的に、日本が誘致したいと思っている限り、きちんと支援しなければいけない。だが、23年度予算で次世代加速器の研究開発にお金がつかなければ、ICFAが日本での実現をサポートすべきかという議論はかなりシビアになると思う。お金が付かなければ、白黒がはっきりしてしまう」

(聞き手は報道部・鎌田佳佑)

 中田 達也氏(なかだ・たつや)

 ドイツ・ハイデルベルク大で博士号取得。スイス連邦工科大ローザンヌ校教授を経て現在は名誉教授。加速器将来計画欧州委員会議長など歴任。20年国際推進チーム議長。67歳。東京都出身。

 

日本誘致は瀬戸際に、知の拠点、今こそ必要

リポート 報道部・鎌田佳佑

 国際リニアコライダー(ILC)の国内誘致の可否検討に年数を費やしても結論を出せない日本を、もう世界は待ってくれない。そんな感触をスイスでの取材で得た。

 インタビューに答えてくれたリン・エバンス氏、中田達也氏とも、ILC計画に長く携わり、世界に幅広い人脈を持ち、現在も重要な役割を担っている。

 実現に向けた「外交活動」や機運醸成のため日本をたびたび訪れているエバンス氏。これまでのソフトな印象は封印し「フラストレーション(いら立ち)のレベルが100%に上がった」と、あえて感情をあらわにした。世界の空気が微妙になってきた事実を、本紙を通じて日本側に伝えたかったのだろう。

 中田氏は年内の設置を見送ったプレラボの役割について、日本は「誤解している」と述べた。その設置段階で、日本が誘致の義務を負うことはない。建設に必要な費用を事前に明確なものにし、日本が判断するための材料を示すことが重要だと説いた。

 研究者が「プレラボ」という名称にしたため、日本政府に「設置を容認すれば、誘致が規定路線になる」との警戒感を与えた側面は否めない。だが、中田氏の主張には説得力があり、日本は正しい判断をするために速やかに設置を後押しすべきだと感じた。

 2人に共通するのは、向こう1年で日本の進展がなければ「白紙化の可能性がある」との認識だ。素粒子物理学において、ヒッグス粒子の精密測定は重要なテーマ。日本の結論が出るまで、さらに何年も待っている余裕などない。

 半面で、2人は幸いにも「今でも日本で造りたい」との意欲は持ち続けていた。「日本は『サポートしてくれる国があれば、私たちはホスト国になる』と言うだけで十分」とのエバンス氏の提言を実践できるかが、当面の大きなポイントになりそうだ。

 CERNが設立された経緯をたどれば、第2次世界大戦で分断した欧州にあって、各国が「科学」という人類共通テーマを軸に再構築する狙いがあった。70年の時を超えて起きたロシアによるウクライナ軍事侵攻は終結の見通しが立たず、罪のない市民の命が日々奪われ、世界は分断を深めている。

 だからこそ、人種や民族を超えて手を携える新たな知の拠点、ILCは人類の未来にとって一段と重要性を増している。先進地で活躍する研究者の話をじかに聴き、日本は世界の期待に応えてリーダーシップを発揮すべき時だとの思いを強くした。

 

大学のような雰囲気 見学ツアーに観光客 CERN

 国際都市ジュネーブの郊外にある欧州合同原子核研究所(CERN)のメインキャンパスは、周辺に牧草地や畑など豊かな緑が広がる。背景には、雄大なジュラ山脈。本県の農村風景と重なる。

 研究所前の広場は23の加盟国のカラフルな国旗がはためき、ここが国際協力の拠点であることをアピールする。広大な敷地には研究施設が立ち並び、車が行き交う。まるで大学のようだ。

 カフェテリアは学生食堂のような雰囲気。さまざまな国の出身者と思われる風貌の人たちがドリンクを片手に会話し、情報交換したり、研究のアイデアを膨らませたりしていた。

 世界最先端の研究を推進するCERNは連日、多くの観光客が訪れる。ガイド付きツアーは2コースあり、初期の1950年代に使われていた加速器の実物や現在地下実験で反応を調べている巨大な検出器アトラスの制御室などの見学ができる。

 スウェーデン・ヘルシンボリから訪れた会社員ヴァンべリ・ビョーンさん(41)は「想像以上に国際的な施設で驚いた。加速器の進歩によって得られた科学的成果を知ることができた」と刺激を受けた。

 ジュネーブは路面電車・トラムが市民の足として活躍する。中心市街地からCERNまでは20分ほど。混み合う車内でマスク姿は意外にも記者のみで、厳戒態勢が続いている日本とは異なる「ウィズコロナ」社会に本格移行していた。

大学キャンパスのように建物が立ち並ぶCERN。世界各国から研究者や技術者が集い、活動している
初期の加速器を間近で見られるCERNの見学施設。長い研究の歴史を学べる

欧州合同原子核研究所(CERN=セルン)

 スイスとフランスの国境付近に位置する国際研究機関。地下に大型円形加速器(周長27キロ)を有し、極微の複合粒子である陽子を光に近い速度でぶつけて未知の物質や作用を調べている。2012年にはヒッグス粒子を発見し、研究者2人が翌年にノーベル物理学賞を受けた。

 設立は1954年。第2次世界大戦で分断された欧州を科学の共同研究を通じて再び一つにしようと12カ国が動いた。現在は23カ国が加盟し、日本はオブザーバーとして参加する。専属職員は約2600人。年間予算(21年)は約1700億円で関係国が分担する。

ジュネーブ州 

 人口51万人で外国人が約4割を占める。州都はジュネーブ。第1公用語はフランス語。第1次世界大戦後に国際連盟本部が置かれ、現在は国連欧州本部、世界保健機関(WHO)本部、国際労働機関(ILO)本部など39の国際機関がある。