「4月に着任した村田美和と申します」と名刺を手渡すと、「村田源一朗さんのお孫さんですか?」と聞かれることが時々ある。

 「いや、私は群馬県出身なんです」。源一朗さんは元岩手日報社社長で名誉顧問も務め、昨年11月に89歳で死去した。当時入社1年目だった私は、訃報を読んでその存在を知った。

 「同じ名字だからこそ、伝えたいことがある」と西和賀町の職員に誘われ、11日に同町沢内太田の深沢晟雄(まさお)資料館を訪ねた。

 旧沢内村の故深沢晟雄村長は生命尊重行政を掲げ、1962年には乳児死亡率ゼロを全国で初めて達成した。だが同時期、沢内病院の麻薬中毒の医師が手術に失敗し、患者が死亡。北上支局の若手記者だった源一朗さんはその事実を世に問おうとしたが、深沢村長と長い議論の末、掲載直前で記事を取り下げることになる。

 相当な葛藤があったのではないだろうか。支局では事件、事故も取材し、私も悩むことがある。先日、交通事故の取材で「記事にならない部分までなぜ知る必要があるのか」と聞かれ、答えに窮してしまった。

 先輩記者にも相談し「同じ悲劇を繰り返さないよう報道するため」と自分なりに理由を考えた。迷い、悩むことはまだまだあるだろう。目の前の事はもちろん、過去の歴史も学び、日々成長したい。

(村田美和)