一関支社で迎えた2度目の4月。ちょうど10年前のこの時季、一関東支局に着任した。一関市内で2度働く機会は、なかなかない。穏やかな気候の中、懐かしい人たちを再び取材できることが単純にうれしい。

 当時は東日本大震災の発生から1年ほど。県境の室根や千厩には仮設住宅が立ち、被災した気仙沼市民など多くがなじみの薄い隣県での生活を始めていた。

 住民による折り紙教室や温泉へのバスツアー。「絆」の字を掲げた支援がたくさんあり、地域全体に新たな住民と関わろうという雰囲気があった。新たな土地で暮らす自分自身も気持ちを重ね、そういう場で話を聞くのが好きだった。

 今年の3月11日を前に、高校で料理教室を取材した。講師のシェフは「せっかくだから」と当時を切り出した。避難所となった校舎で振る舞った夕食とサプライズの入学祝いケーキに家族が見せた涙。生徒たちは話の熱に引っ張られ、特盛りランチへの手は止まっていた。

 ふと、仮設住宅の小さな集会場で取材した料理会を思い出した。「寄り合い」の互いが距離を縮め、会話が始まっていく光景。仮設住宅はもうなくなったが、形に残らない多くの支えがあり、10年後の日常がある。「みんなで頑張ろう」。2度目の勤務は折々で、当時の気持ちに返らせてくれる。

(佐藤成人)