2022.02.24

周囲の温かさが力に

タブレット端末で動画を楽しむ沢田萌羽さん(右)と母の佳代子さん。萌羽さんは自分で動画編集もできる=盛岡市内
タブレット端末で動画を楽しむ沢田萌羽さん(右)と母の佳代子さん。萌羽さんは自分で動画編集もできる=盛岡市内

脊髄小脳変性症

沢田 萌羽さわた・もえはさん(15) 母佳代子かよこさん(39)=盛岡市

 

②支え

 沢田佳代子さん(39)は、転校をきっかけに長女の萌羽(もえは)さん(15)が変わったと感じた。

 小学4年のとき、盛岡市内の小学校から盛岡となん支援学校小学部に転校させた。転校前の学校は児童数約800人。歩行のふらつきなど体が不自由で勉強も得意でない萌羽さんは目立たない、おとなしい子だった。

 「前の学校は床の段差などがあって見守りや介助が必要だったが、支援学校はバリアフリーで車椅子を使えば自分で移動できる。何かを一人でできるという感覚は支援学校の方が大きかったと思います」。自信を持つと、萌羽さんはおしゃべりが増え、進んで行動することが多くなった。

 沢田さんは自分を「恵まれている」と繰り返す。一つに「娘に対して否定的でない」という親、きょうだいの存在がある。

 母親は現役の看護師。すぐ下の弟は理学療法士で、萌羽さんが通うデイサービスに勤務し「病気について私より知識がある。心配があるとすぐに相談できるので助かる」。

 職場の理解も大きい。市内のスーパーでのパート勤務は1日3時間ほど。9年前の当初は7時間だった。転校に伴い送迎の負担が増えたほか、長男悠羽(ゆうわ)さん(18)の面倒や家事もしっかりやりたいと考えて徐々に短くしてきた。

 「本来こんなに短い勤務はありえない。申し訳ないので何度か辞めますと話したが、その都度引き留めてもらい働かせてもらっている」。スーパーに勤務する前は、家電量販店を皮切りに倉庫整理やスナック、ホテルの清掃など何度も仕事を変えた。生活には経済的な不安が付きまとってきた。今、子育てと両立できる環境に感謝は尽きない。

 昨年の秋ごろ。沢田さんは買い物の最中に萌羽さんから聞かれた。「(私は)何で歩けないの、何の病気なの」と。

 沢田さんは、幼い頃から萌羽さんが他の人との違いを自覚していたと想像する。それでも病気についてはっきり聞かれることはなかった。

 「いつかは話さないといけない」と覚悟してきた。唐突な質問にはさすがに戸惑ったが、努めて明るく、分かりやすく答えた。

 脳が小さくなる病気であること、進行する可能性があること、これからの体のこと‥。「すごいしょんぼりしたという感じはなかった」。どう思ったかは、あえて聞かなかった。

 萌羽さんは自宅での筋トレを日課にする。週5日、腹筋は1日に10~20回。始めてからもう少しで1年半がたつ。

 「本人も今より動けなくなるのは嫌だから頑張っている。介助なしで立っていられる時間が維持されている気がします」。歯を食いしばって体を起こす娘に、温かなまなざしを注ぐ。

 萌羽さんは今春、となん支援高等部の2年生になる。卒業後の進路選択が着実に迫ってきている。

 現状では「就労継続支援B型」の事業所か、介護面に重きが置かれる「生活介護」のサービス利用が選択肢になる。

 ただ沢田さんは「体調に波があり、きっちり働くB型はハードルが高い。逆に生活介護は萌羽には物足りないと思う。中間ぐらいの所があればいいのに」と吐露する。情報量は限られ、頭を悩ませる。

 高校生の悠羽さんは近く、就職のため家を出る。萌羽さんとの2人暮らしになり、日常の世話など負担は増すが「問題はもっと先かな」と沢田さんは言う。

 「10年後、20年後より、もっと先の死ぬときのことがいつも頭にある。お金や住む場所と同時に、自分がいなくなった後の子どものことを、親たちはみんな悩んで考えています」

 萌羽さんへの取材の最後、「お母さんのいいところ」を尋ねた。

 長い時間考えてから「でもさあ、あのさあ、こうした方がいいんじゃない(と提案してくれるところ)」と話してくれた。

 萌羽さんにとって沢田さんは、かけがえのない道しるべ。周囲に見守られ、支えられながら、手をつないで生きていく。ずっと、これからも。

(沢田萌羽さん、佳代子さんの回は終わり)

 

 就労継続支援B型と生活介護とは 障害者総合支援法に基づく。就労継続支援は一般企業で働くことが難しい人に働く場を提供し知識・能力の向上に必要な訓練を行う。B型は事業所と雇用契約を結ばず比較的軽い作業を行い、工賃を得る。雇用契約を結ぶA型もある。生活介護は常に介護を必要とする人に対し昼間に入浴、排せつなどの介護を行うとともに、創作的活動や生産活動の機会を提供する。

 

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