2021.09.23

歩行がおぼつかなく

脊髄小脳変性症を患う小野寺美保子さん。原因ははっきりしないが、両手の複数の指や右足首には変形が見られる=盛岡市内の自宅
脊髄小脳変性症を患う小野寺美保子さん。原因ははっきりしないが、両手の複数の指や右足首には変形が見られる=盛岡市内の自宅

脊髄小脳変性症

小野寺 美保子おのでら・みほこさん(56)=盛岡市

 

①発症

 盛岡市内の公営住宅の1階。バリアフリーに配慮した室内に入ると、車椅子の小野寺美保子さん(56)が「おはようございまーす」と、ぺこりと頭を下げた。脚を満足に動かせず、歩くことはできない。あいさつに子どものような幼さが混じる。1人暮らしになって5年以上がたつ。

 難病の脊髄小脳変性症(せきずいしょうのうへんせいしょう)を患う。主治医によると、小脳の萎縮が強く、体のバランスを取りにくい。車椅子生活の原因となったほか、ろれつが回りにくく、たどたどしさを感じる話し方も病気の影響が考えられるという。

 一戸町で養蜂業を営む家庭に生まれた。「体調に異変が表れたのは小学4年あたりだったと思う。歩き方がおぼつかなくなってきた」。こう話すのは、同町に暮らす長兄の土屋勲(かおる)さん(68)だ。

 小野寺さんはもっと前からだったとも思うが、あまり覚えていない。ただ周りから、こんなことを言われていた。

 まっすぐ歩けていないよ、座っていると体が後ろにころんと倒れるね。

 はっきりと頭にあるのは小学校の運動会が泣くほど嫌だったこと。「平均台を渡る競争があって、1歩進んでは何度も落ちてました」。どうしてできないのかと考えたが、病気と結びつけることはなかった。

 3人きょうだいの末っ子で一人娘。両親はとても心配した。勲さんは「病名もはっきりしなかった。病院を探したり医者を紹介してもらったり、親は一生懸命やっていた」と振り返る。

 勉強やコミュニケーションは全く問題なかったが、中学校は特殊学級(当時)に通った。小野寺さんは「小さいときの診断は『小児麻痺(まひ)の下肢障害』。普通学級でも良かったけど、たぶん障害者だからということだったと思います」。

 最初に入った文化部が廃部になり、途中からバスケットボール部へ。「ボールを突いたり、走ったりできた。特殊学級も個性があって楽しかった」。中学2年か3年のとき、正式に脊髄小脳変性症と診断された。障害者手帳を受け、階段の上り下りは手すりを使わないとできなくなっていたが、悩んだとか、不安になったことはなかった。

 普通高校を選んだ兄2人に対し、地元の一戸文化服装学院に進み、洋裁を学んだ。「進学の時期に病院に検査入院したり、勉強も国語以外は好きでなかった。父親から手に職を付けた方がいいとも言われた」。同学院に4年通った。洋裁は楽しかったが、病気は悪くなっていった。

 「動作が遅くなった」と当時を思い返す小野寺さん。勲さんは妹の症状を、もっとはっきり覚えている。「手の指が曲がっていたり、歩く時にかかとがうまく地面に付けられず、よく転んでいた」

 卒業後の就労はかなわなかった。身体に障害のある人が職業訓練をする盛岡市の都南の園に入所した。

 「弱い体に生まれさせてごめんね」。都南の園にいた頃、酒に酔った父八郎さん(故人)から、そう謝られたことがある。

 「自分は深く考えていなくて、こういう体だから仕方ないと思っていた。他の人より動くのは遅いけど、『ゆっくりならできるもん』という感じでしたね」

 子どもの頃の病状をひょうひょうと話す。家族や周囲に大事にされ、伸びやかに育ったことが分かる。

 20代半ばになると、徐々に歩くのがつらくなった。盛岡市内の縫製工場で働いていた32歳の時、障害のある男性と結婚した。

 

 脊髄小脳変性症 立ち上がったり歩いたりする際にふらつく、手がうまく使えない、話す時にろれつが回らないなど、さまざまな動きが円滑にできなくなる「運動失調」を起こす神経の難病。原因は後頭部の下側にある小脳の異常のほか、病気が脊髄まで広がることもある。遺伝性と非遺伝性がある。症状の進行はゆっくりだが、進行すると、のみ込み(嚥下=えんげ)機能などが障害される場合もある。医療費助成対象の患者数は国内2万6601人(2019年度末現在)、県内349人(20年度末現在)。

 

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