忘れもしない。1945(昭和20)年8月10日の花巻空襲を。私たちを懸命に育ててくれた母のことを。

 当時、私は小学6年だった。花巻市上町に砲弾が1発落ち、まちは真っ赤に燃え上がった。父は兵隊に取られた。母、きょうだいと燃えるわが家を見て泣いた。住む家を失い、親戚宅を泊まり歩いて同月15日の終戦を迎えた。後日、父がトラック諸島で戦死したと知らせが来た。

 母は自分の着物で、私と妹の上着やズボンを作ってくれた。赤やピンク、何色であっても、恥ずかしいなどという気持ちは起きなかった。米の節約のため、ご飯には大豆を入れた。聞けば、周りでは大豆どころかコーリャンなどいろいろ入れているようだった。それに比べれば、わが家のご飯は最高においしかっただろう。

 当時の女の子は全員、髪の毛にシラミがウヨウヨしていた。下着にもいるので毎日、下着を煮て殺虫し、洗濯した。母は、私たちを健康に育てるため苦労したと思う。

 母は90歳3カ月でこの世を去った。最後までしっかりしており、皆さんに感謝しながら亡くなった。母の力をいただいて今の生活が成り立っていると思うと、改めて感謝の気持ちでいっぱいになる。