2021.08.26

できること、自然体で

フラダンスの練習に励む小野寺ひろ子さん(右から2人目)。高橋烈子さん(右)、佐藤照美さん(右から3人目)と一緒に楽しんできた。左は講師の矢守春菜さん=奥州市内
フラダンスの練習に励む小野寺ひろ子さん(右から2人目)。高橋烈子さん(右)、佐藤照美さん(右から3人目)と一緒に楽しんできた。左は講師の矢守春菜さん=奥州市内

重症筋無力症

小野寺 ひろ子さん(57)=奥州市前沢

 

④趣味

 小野寺ひろ子さんは難病になってから、健康な人と一緒に出掛けることがなくなった。歩いたり、食事をするペースが遅いことを自覚する。階段を上がるのさえ苦労する。昔は料理が好きだった。パン作りは習ってまでのめり込んだが、疲れやすく、今はしなくなった。

 言葉に自嘲めいた響きはない。「後ろを振り返っても仕方がないから。できないことは諦めて、自分ができる楽しいことを探してやるしかない」。はたから見ても割り切りの良さはすがすがしいほどだ。

 「重症筋無力症(MG)にならなかったら〝田舎の嫁御〟で終わっていた」。かけがえのない仲間と出会い、活動の範囲は大きく広がった。

 奥州市内のレンタルスタジオ。小野寺さんがハワイアン音楽に乗せて優雅に踊る。一緒に踊るのは、同じMG患者の佐藤照美さん(67)=花巻市=と高橋烈子さん(73)=奥州市。3人は2014年から、趣味でフラダンスを楽しんでいる。

 障害者の文化祭で見たのが、始めたきっかけだった。15年に花巻市内で開かれたMG患者会の全国大会で初披露。その後は高齢者のデイサービス施設を慰問したり、県難病・疾病団体連絡協議会(難病連)のイベントに出演してきた。

 幼い頃は民謡少女だった。「夏祭りやコンサートのステージに、よく呼ばれた。みんなの前で踊るのは楽しい」

 小野寺さんは久しく、背骨が曲がる側弯(そくわん)症とも闘っている。夜は寝返りを打つだけで、痛みで目が覚める。フラダンスはDVDやオンラインでも練習を欠かさない大好きな趣味であると同時に、体の大事なリハビリを兼ねている。

 「いつか(フラの)先生と一緒に、ハワイに行くのが3人の夢」。思いを胸に自然体で病と向き合う。

 裁縫は病気になる前から続けてきた。フラの衣装を自分以外の分まで作るほか、障害者でも着られるウエディングドレスなどを意識的に手掛けてきた。

 MGの患者会を通じて難病連と関わり、県内外の多様な病気の人と交流するようになった。

 「車椅子だと、おしゃれをしにくいと聞いた。ドレスは女性の憧れ。自分が身に着けて楽しいものを、障害のある人にもワクワクしながら着てほしい。そういう物は作っていて時間を忘れる」

 20歳で博さん(70)と結婚し、長女あずささん(36)=現姓鈴木、長男康仁(こうじ)さん(32)の2人の子どもを育てた。現在は調理師だった博さんが炊事など家事全般を担当。小野寺さんは仕事や通院の傍ら患者会、難病連のことに多くの時間を割く。

 あずささんは18年前、母親が闘病生活に入った当時の家族の様子を振り返る。

 「一言で言えば〝暗黒の時代〟。みんながどうしたらいいか分からない、暗闇の中にいる感じだった。全てが無我夢中でした」。そして「心のどこかで、突然また(病気で)がたっとくるのでは、あの暗い時代に戻るのではと思うときがある」。

 小野寺さんのMGの症状が消えることはない。まぶたが下がる眼瞼(がんけん)下垂(かすい)は毎日。疲れて嚥下(えんげ)機能が落ちれば、うがいでむせ、鼻から水が出てくる。薬によっては将来の副作用も心配になる。早め早めの入・通院と日々の服薬で症状を安定させている。

 小野寺さんは考える。「年齢とともに回復力が落ちて入院の頻度が高まったり、違う病気が増えたりするのかもしれない」

 今後のことは分からないけれど、ますます募る意志がある。「難病について、みんなが分かってくれるまで頑張りたい」。患者会や難病連の活動、趣味、仕事。決意を力にしていく。

(小野寺ひろ子さんの回は終わり)

※「小野寺ひろ子」の「ひろ」は、「まだれに黄」。

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