2021.05.27

疲れやすさ、気付かず

眼瞼下垂の緩和効果がある目薬を差す小野寺ひろ子さん。1日に何度も使い、仕事中も常備する
眼瞼下垂の緩和効果がある目薬を差す小野寺ひろ子さん。1日に何度も使い、仕事中も常備する

重症筋無力症(MG)

小野寺 ひろ子さん(56)=奥州市前沢

 

①発症

 2003年7月。小野寺ひろ子さんは車を運転中、左のまぶたが「どんっと、重くなる」のを感じた。

 視力や視野は大丈夫だった。鏡を見ると、まぶたが垂れ下がっているのが分かった。眼瞼下垂(がんけんかすい)という重症筋無力(きんむりょく)症(MG)に典型的な症状が起きていた。

 一関市内の県立病院で看護補助の仕事をしていた。運転中の眼瞼下垂から数日後、勤務中に再び左のまぶたが下がった。はっきりと異変を自覚した。院内の脳神経外科を受診したが脳に異常はなく、神経内科へ。岩手医大からの派遣医師に診てもらった。

 筋力を調べるため、抑え付けられた状態で肩や腕を上げたり、腕を伸ばしたまま持続できるかなどを検査された。重症筋無力症で間違いないだろう-。重病感がストレートに伝わってくる病名だった。それでも当時は「どんな病気か分からないし、仕事ができて普通に動けていたので深刻に考えなかった」。翌8月に同大に入院して診断が確定。39歳だった。

 発症時期は前年の02年という診断だった。指摘されて気付く体の異変があった。

 普通に廊下を歩いていてつまづく、キュウリを切っていると途中で腕が疲れて切れなくなる、ドライヤーで髪を乾かすときに腕を上げたままにできない、食べ物が飲み込みにくい、あごが疲れやすい…。

 MGは同じような動作を繰り返したりすると症状が現れ、休むと改善する。小野寺さんは全身に症状が出るタイプだった。「少し休んだり、次の日になると良くなっていた。MGを知って、それまでの症状と病気がつながった」

 診断根拠の一つに、病気との関連が深いとされる胸腺(きょうせん)という胸の組織の存在があった。摘出手術を受けるまでの約1カ月間、当初の楽観は霧散し、気分は「どろどろ」に落ち込んだ。

 「体が動かず、ベッドに寝たままで何も考えられない状態だった。病気のことが徐々に分かってくると『なんで自分が』とか『自分が何か悪いことをしたの』と考えた」。進まない治療に不安だけが増した。

 手術はした。しかし眼瞼下垂は期待したようには直らなかった。逆に術後は食べ物の飲み込みが悪くなった。免疫を抑えるステロイドの点滴・内服と、血液を浄化する治療を受けるようになった。

 その後、眼瞼下垂の症状は落ち着いていった。病院の階段を上り降りできるまでに体力、筋力も戻った。11月に退院した。

 難病は一般に症状が良くなったり、悪くなったりを繰り返す。小野寺さんは早々に思い知る。翌04年2月、再入院を強いられた。

 自宅の2階に歩いて上れず、手を突いてはって上がるような状態になった。まぶたが下がり、目の玉の動きにくさまで感じた。発症から今に至るまでで「一番大変だった」という病状の増悪(ぞうあく)だった。

 医師と亡き祖母。2人の言葉に助けられた。

 重症筋無力症は悪くなって当然。悪くなりすぎないうちに治療すれば亡くなる病気じゃない-。

 人は大きく心は丸く、腹を立てずに気は長く-。

 「昔から前向きで、くよくよしない方。入院ありきが自分の人生なんだと切り替えられた」。毎日の服薬と定期的な入院を続け、あの日から間もなく18年がたつ。

※「小野寺ひろ子」の「ひろ」は、「まだれに黄」。

 

 重症筋無力症とは 神経と筋肉のつなぎ目に障害が生じ、まぶたが垂れ下がる(眼瞼下垂)、物が二重に見える(複視)、腕や脚の力が弱くなる、食べ物が飲み込みにくくなるなどの症状を起こす指定難病。重症の場合は呼吸困難を起こす。通常より疲れやすい「易(い)疲労性」も特徴。目の症状だけの眼筋型と、全身症状がある全身型がある。遺伝はしない。医療費助成対象の患者数は国内2万3973人(19年度末現在)、県内275人(20年度末現在)。

 

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