2021.03.08

⑯被災地を歩く 宮古市中心部

【2011年3月11日】 防潮堤を乗り越え中心市街地に流れ込む「黒い波」
【2011年3月12日】 津波から一夜明け、旧市役所周辺は大量のがれきや泥に覆われた
【2015年10月14日】 市街地は復旧が進み、河口部で閉伊川水門の整備が進む
【2020年2月17日】 解体作業中の宮古市役所の旧庁舎
【2021年2月23日】 旧庁舎の解体が終わり、市民が憩う公園整備が進む(本社小型無人機から撮影)
【写真=2011年3月11日、11年3月12日、15年10月14日、20年2月17日、21年2月23日】

力を合わせ盛り上げる

 東日本大震災の発生から1カ月を迎えようとしていた2011年4月7日午後11時半、復旧したばかりの宮古市中心部のホテルで就寝中、大きな揺れに跳び起こされた。

 停電で真っ暗闇の中、防潮堤を乗り越えた「黒い波」が頭をよぎる。津波注意報が発令され、サイレンが鳴り響く。「また来るかもしれない」とすぐさま、浸水区域外にある山口小に向かった。

 市内は大きな混乱はないものの、地域住民が深夜の避難所に集まり始め、全員がラジオの情報に耳を傾けていた。県内は震度6弱を観測。約1時間20分後、注意報解除の報に、私も胸をなで下ろした記憶が鮮明に残る。

 あれから間もなく10年。15、16年度の宮古支局勤務時代に何度も足を運んだ新川町の旧市役所庁舎跡を2月末に訪れ、歩道橋から眺めた。庁舎が解体されたことから、改めて河口部に近い立地だと実感した。跡地には市民が憩う「うみどり公園」の整備が進む。

 庁舎跡地から末広町商店街に向かうと、店のショーウインドーには桃の節句に合わせた華やかな手作りひな人形が飾られ、市民らを出迎えていた。沿岸南部の市町と異なり、宮古市の中心商店街は津波で浸水したが流失は免れ、そのまま復旧を進めて今に至る。昭和の雰囲気が残る通りが魅力の一つだ。

震災や2度の台風被害を乗り越え、中心商店街から地域を盛り上げようと活動する(左から)赤坂真喜子さん、佐々木慶子さん、松原安子さん=宮古市末広町

 「工房の仲間と力を合わせて続けてこられた。商店街のためにもできる限り協力したい」。ひな祭りメーン会場の手づくり工房糸ぐるま代表の赤坂真喜子さん(71)はこう語った。津波でがれきや泥が押し寄せ、営業再開は半年後。現在は新型コロナウイルスの影響で客足の減少に直面するが、にぎわい創出を模索する。

 かつて何度も取材した電器店を経営する佐々木慶子さん(76)は「3月11日が近づくたびに、被災当時の風景がよみがえる」と教えてくれた。店内は、腰の高さまで浸水したことを示す印が今も残る。

 16年の台風10号豪雨、19年の台風19号豪雨と、震災以降も災害が相次ぐ。「2度も台風の被害が続き、改めて自然の猛威には驚かせられる。避難する意識を忘れないようにしたい」と言い聞かせる。

 佐々木さんは女性店主らが集った「昭和通りのおかみさんもてなしたい」の代表も務める。冬はイルミネーション、春から秋にはハンギングバスケットを設置し、復興が進む町を盛り上げようと奮闘してきたが、震災前は100店ほどあった中心商店街の事業者は65店ほどに減少した。

 新たな動きもある。18年10月に市民交流センター、保健センター、新市庁舎が一体整備された「イーストピアみやこ」が駅南側に開所した。タクシー会社を経営する松原安子さん(72)は「新しい市役所から商店街に人の流れもできた。若い人がゲストハウスを立ち上げる動きもあり、共に新しいまちを盛り上げていきたい」と、相乗効果を期待する。

 この10年、カメラマンとして被災地の変遷を撮影してきた。心に残ったのは、逆境にあっても前を向き、しなやかに歩み続ける姿。今回、宮古の中心部を歩き、その思いを強くした。復興事業を経て新しいまちの姿が固まった今、公共施設や公共交通の基盤を生かした活性化に期待したい。

 (報道部・菊池範正)

【2011年3月11日】 防潮堤を乗り越え中心市街地に流れ込む「黒い波」
【2021年2月23日】 旧庁舎の解体が終わり、市民が憩う公園整備が進む(本社小型無人機から撮影)
【写真=2011年3月11日、21年2月23日】
 

 宮古市中心部の復興状況 津波で住家・非住家含め全壊908棟、大規模半壊475棟。新川町と本町周辺の市中央通商店街振興組合は組合員52人の大半が被災し現在は36人。16年の台風10号、19年の台風19号でも大半が浸水した。市末広町商店街振興組合は震災前の71人から60人に減少した。新川町の旧庁舎は解体され多目的芝生広場などを備える「うみどり公園」が7月完成予定。市街地の無電柱化計画も進み、将来的に宮古駅前から公園周辺の電線を埋設して歩道を広げ、歩行者中心の道路環境を整備する。