2021.03.03

⑬被災地を歩く 山田町小谷鳥集落

【2011年3月25日】 土砂やがれきで覆われた震災2週間後の小谷鳥集落
【2014年6月25日】 ウニの口開けで漁船と軽トラックがひしめく小谷鳥漁港。手前の船揚げ場はまだ壊れていた
【2015年10月14日】 防潮堤工事などで土砂を運ぶダンプカーが行き交った
【2017年4月25日】 漁業者待望のクレーンが整備された小谷鳥漁港の物揚げ場
【2021年2月10日】 防潮堤でほとんど海は見えなくなった
【写真=2011年3月25日、14年6月25日、15年10月14日、17年4月25日、21年2月10日】

漁港復活も細る担い手

 いつものように風と波の音、ウミネコの声が心地よく迎えてくれた。1年ぶりに訪れた山田町船越の小谷鳥(こやどり)集落はハード整備も終了し、ここ数年変化がないように見える。人通りがないことが、その感覚を増幅させる。

 一面を覆う家の残骸や漁具、車。海から20メートル以上高い木の上に乗った冷蔵庫。東日本大震災発生直後の3月25日、破壊の中にたたずんだ時の光景は、今もありありと脳裏によみがえる。

 夜は街灯もなく、くぎや端材を踏まないか、ひやひやしながらハンドルを握った。ヘッドライトを消して車外に出てみた。周辺のがれきも闇に埋もれ、こんなにも多くの星があるのだと、美しさに驚いた。

 あれから10年。一番大きな変化はなりわいを担う小谷鳥漁港だ。津波で防波堤や船揚げ、物揚げをする設備が崩壊。外海に面した港はその後台風などによる高波を受け、直しては壊れるを繰り返し、漁業者をやきもきさせた。それだけに整備が完了し小型漁船が整然と並んだ船揚げ場の様子が感慨深かった。

小谷鳥漁港から父勇逸さん(右)と刺し網漁に出る山崎規正さん。ワカメ養殖に取り組む最も若い世代だ=山田町船越

 朝6時、漁港に向かうと山崎規正(のりまさ)さん(45)が父勇逸さん(86)と刺し網漁に出るところだった。「第十八千代丸」。震災で亡くなった母チヨさん=当時(75)=の名を冠した3トン船だ。

 規正さんは茨城県の建設会社などで働いてきたが、震災で自宅が流されたのを機にいったん帰郷。2、3年北海道でサケマス、サンマ漁の船に乗った後、父の後を継ぎ、古里で漁業の道を選んだ。「安定している」とワカメ養殖にも乗り出し3年目。最も若い世代として期待を受ける。

 集落の高台に新居を建て、2月に同町船越の中心部から家族5人で移り住んだ。「流された家のローンもまだある。仕事は苦にならない。5歳の子が大きくなるまで頑張りたい」と誓う。

 三陸やまだ漁協によると、同集落を含む大浦支所の正準組合員数は2011年2月末の262人が21年2月末は158人に減少した。小谷鳥沖でワカメ養殖を営む漁師は震災前の約30人が現在11人。高齢化の上、震災で船や資材を失ったことが廃業に拍車を掛けた。

 小中学校の先輩で、ワカメ養殖を手掛ける佐々木弘行さん(46)は、同世代の参入を「心強い」と歓迎する。11人が共同で資材を購入し、養殖棚などの施設整備も助け合う。力仕事もあり若い人手は貴重だ。

 同漁協理事を務める地元の山崎練磨さん(73)は「本当に一生懸命だ」と喜ぶ一方「10年後はワカメをやる人も半分ほどになる」と危機感を募らせる。

 「そのうち人がいなくなる」。会う人たちに小谷鳥の未来を尋ねると同じ答えが返ってくる。コミュニティセンターが昨年完成したが、活用策はこれからだ。

 漁業や他業種の働く場をつくり、若者を呼び込む-。夢を語るのはたやすいが、地域を見続けると実現は簡単でないと感じる。

 海水温と魚種の変化、磯焼けなど漁業を取り巻く不安要素は多い。それでもこの地の活力を生む鍵はやはり漁業だろう。若者に、生計を立てられることを示せるかどうかが重要だ。

 10年後の期待を佐々木さんに尋ねる。「海が豊かになるのが一番。小谷鳥はやっぱり海が中心なんだよ」

 これまで何百年、何千年と地域の暮らしを支えてきた豊穣(ほうじょう)の海。何も言わないが、輝いて見えた。

 (報道部・斉藤陽一)

【2011年3月25日】 土砂やがれきで覆われた震災2週間後の小谷鳥集落
【2021年2月10日】 防潮堤でほとんど海は見えなくなった
【写真=2011年3月25日、21年2月10日】
 

 小谷鳥集落の復興状況 集落の居住棟31戸のうち20戸が全壊し、18人が犠牲になった。住民は2011年3月1日時点の33世帯102人に対し、21年2月1日時点は14世帯39人と大幅に減った。被災前の約1・5倍となった高さ12・8メートルの防潮堤(延長367メートル)は17年3月に完成。町が管理する小谷鳥漁港の災害復旧工事は、修復した防波堤などが低気圧や台風による高波に見舞われて再び壊れた。入札不調も続くなど難航したが、18年3月に完了。19年6月には臨港道路の拡幅や照明灯設置などの復興事業の工事も終えた。