釜石市 パート ボラへさん(43)

 2011年3月11日。私の人生を大きく変えた日。あの日、私は最愛の夫を失った。

 長男が幼稚園に行き、次男の機嫌がいい約2時間。がれきの山を捜し歩き、被災車両置き場や安置所にも行く。帰りの車内で大泣きして、家に着く頃に笑顔に戻す毎日。

 最愛の人が何を着ていったのか分からなかった。体の特徴のほくろやあざも、全然分からない。一体私は5年間、あの人の何を見てきたんだろう。毎日自分に落胆し、責める日々。安置所で似た人を捜す。「あなたもまだ、お迎えが来ないのね」。何体の遺体に話し掛けたんだろう。

 8カ月後、市役所からの電話。あの人の車は被災車両が重なり合った一番下にあった。つぶれた車の中であの人は眠っていた。なぜ重ねる前に中を確認してくれなかったんだろう。同時に、いつも行っていた所なのに見つけることができなかった自分も責めた。

 いつしか人を信じられなくなっていた。「頑張って」。そう言われることも大嫌いになっていた。心の孤立、やんちゃ世代の子育て。「なんで私ばかりこんな目に遭わないといけないの。パパはずるいよ。笑ってないで助けてよ」。毎晩遺影にけんかを売る。あの人は笑っているだけ。

 でも、隣にいる子どもたちの寝顔にはいつも助けられた。「私はじかにこの子たちのぬくもりを感じている。あなたは感じることはできないんだよね。あなたもつらいね」。そう思うと少し頑張れる気がした。

 震災で旦那さんを亡くしたかわいそうな人、とレッテルを貼られ、楽しい思いをしてはいけないと思っていた。ただ時間が進んでいくだけの日々。あの頃の記憶は残っていない。

 何とかここまで来られたのは、私を支えてくれた人たちのおかげだった。ずっと寄り添ってくれた支援団体の方々、同じ境遇の方々、親友、そして家族。一人じゃなかった。もう大丈夫。ずっと逃げてきた記憶と向き合うことができたから。

 何が起こるか分からない世の中。もしかしたら今日が最後かもしれない。だから今やれることをやる。家族が出掛けるときは、行ってらっしゃいと見送ろう。もしまた大きな揺れが来たら、帰ってきてと言わず、逃げてと言おう。

 後悔しない行動を取ろう。これから先ずっと…。