東日本大震災後、東北地方を管轄する在札幌米国総領事館の広報文化交流担当領事として被災地支援に当たったジョン・テイラー在福岡米国領事館首席領事に、当時の思いと被災地へのメッセージを聞いた。

 震災では、陸前高田市と宮城県石巻市で、英語を指導していた米国人が亡くなった。この事実を家族に伝えたことが、外交官になって最もつらい仕事だった。

 米軍はトモダチ作戦を展開して被災地を支援したが、軍人でない私は、悲惨な状況の中で何をすべきか迷っていた。その時、避難所で演奏するフルート奏者の記事を見つけた。

 私にもできるのではと思い立ち、ギターと米国人が大好きなお菓子「スモア」の材料、寝袋を持って、運転手と2人で被災地へ向かった。軒下で野宿しながら避難所を訪れ、米国のポップミュージックを歌い、被災者とマシュマロをあぶってスモア作りを楽しんだ。

 演奏も菓子作りも趣味のレベルだったが、被災者は「一時でも、苦しい暮らしを忘れられた」と声を掛けてくれた。私は、災害時に有効か自信を持てずにいた文化交流の力を感じ、逆に勇気づけられた。

 日本はとても大切な同盟国だ。震災で米国は日本を支援したが、同時に多くの被災した米国人が日本の皆さんに分け隔てなく助けてもらった。亡くなった米国人2人も手厚く弔ってもらい、深く感謝している。両国は助け合ったのだ。

 宮城県名取市の公民館には、がれきの中から見つかったランドセルが十数個並んでいた。釜石市の小学校では、整列した児童の列に何カ所か隙間があった。その理由を想像すると、胸が苦しくなった。私の娘も当時小学校2年生で、同じランドセルを持っていた。

 当時、副大統領として被災地を訪れたバイデン大統領は、予定時間を大幅に超えて被災者と語り合った。彼も家族を亡くしており、遺族の痛みを理解している。

 10年でまちはほぼ復興したが、心が癒えるにはもっと時間が必要だ。これからもずっと、両国は支え合っていく必要がある。