2021.03.10

八重樫東と被災地の終わりなき戦い⑥

八重樫の「決断」は…

 18年3月、八重樫は約10カ月ぶりの復帰戦に臨んだ。

 フランス・ダムール・パルー(インドネシア)とスーパーフライ級ノンタイトル10回戦を闘い、TKO勝利をおさめた。

 しかし、世界4階級制覇への手応えは得られなかった。

 フライ級の王座復帰に方針を転換。それでも「国内最年長でのタイトル奪取」という高いハードルを自らに課し続けた。

 19年12月。36歳の八重樫は、メリンドに敗れて以来の世界戦に臨んだ。

 IBFフライ級王者モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に挑戦。途中までは互角の戦いだったが、終盤に被弾が増えた。そして9回、TKOで敗れた。

TKO負けを喫して肩を落とす八重樫東(中央)=19年12月23日

 それでもまだ、やれるつもりだった。すぐにでも世界王座に再挑戦したかった。

 だがこの直後、世界をコロナ禍が覆う。タイトル戦どころか、試合自体ができなくなった。

 被災地の人々と同じように、八重樫にも「決断の時」が訪れようとしていた。

重なって見えた「歩調」

 未曾有の津波災害からの復興という、誰も歩んだことのない道を歩く被災地住民。

 年齢を重ねながら、それでもより厳しい状況に挑んできた八重樫。

 震災から9年。その歩調はいつでも重なって見えた。

 20年9月1日、八重樫は現役引退を表明した。

 一足先に歩みを止めたように見えた八重樫だが「これは節目ではない」と首を振る。

現役引退を表明し、大橋秀行会長と写真に収まる八重樫東(大橋ジム提供)

 21年の年始。

 八重樫は後進の指導を終えると、リングシューズのひもをほどきながら、熱っぽく語った。

 「日本のボクシングは、部活の延長のようなところがまだある気がしています。1人の指導者のやり方に大勢の選手が合わせる。そうじゃなく、個々の選手に指導者が合わせていったら、もっと選手の可能性、競技の可能性は広がると思うんです」

 顔を上げ、語気を強めて言う。

 「難しいかもしれない。労力もかかる。でも僕はそれをやりたい。そういう勝負をするという意味で、現役を引退しても僕は自分が変わったとは思わない」

変わり続ける

 八重樫は今も、震災から10年の岩手を思う。

 「被災地はまだまだ大変だと思う。被災地の方々は10年間、変化に対応しながら前に進んできたと思う」

 八重樫も変わり続けてきた。

 階級を変え、そのたびに頂点を極めてもきた。だが変わらなかったのは、岩手を勇気づけたいという思い。それは今後も同じだ。

 「指導者としての立場に変わったことで、被災地でできることの幅も広がると思う。これからもいろいろな角度で被災地に関わっていきたい」

 現役最後の試合になった2019年12月のムザラネ戦。実は八重樫は7回に左目を眼窩(がんか)底骨折していた。

モルティ・ムザラネに敗れ、リングを降りる八重樫東(中央)=19年12月23日、横浜市・横浜アリーナ

 相手の右パンチはほとんど見えていなかっただろう。

 それでも前に出続けた。最後まで、激闘王の名にふさわしい戦いぶりだった。

 震災10年が節目、と誰もが言う。

 しかし実際は、そこで何かが完結したり解決するわけではない。先も見えない。だからこそ被災地の人々も八重樫も、これからも前に出続ける。

 被災地岩手は、八重樫のように不死鳥のように何度でも立ち上がる。挑み続ける。

 八重樫と岩手の戦いは、これからも続く。

 

八重樫東(やえがし・あきら)

 1983年2月25日、岩手県北上市生まれ。黒沢尻工高3年時に岐阜インターハイ・モスキート級優勝。拓大に進み、2002年の高知国体で成年ライトフライ級制覇。アマチュアで70戦56勝14敗の成績を引っさげ、05年3月プロデビュー。06年4月にプロ5戦目で東洋太平洋ミニマム級王座を奪取した。スピードが持ち味のボクサーファイタータイプ。果敢に打ち合う戦法から「激闘王」と呼ばれた。プロ通算成績は35戦28勝(16KO)7敗。162センチ。大橋ジム(横浜市)所属。

 

※この記事は岩手日報によるLINE NEWS向け特別企画です。

 この記事は、岩手日報社が「LINE NEWS」編集部と共同で企画、構成しました。記事全文は「LINE NEWS」でもご覧いただけます。

 

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