2021.03.10

八重樫東と被災地の終わりなき戦い⑤

 5月に行われたスーパーフライ級8回戦。

 八重樫は、ソンセーンレック・ポスワンジム(タイ)を2回2分5秒TKOで下し、再起戦を勝利で飾った。

1回、ソンセーンレック・ポスワンジム(右)からダウンを奪う八重樫東=15年5月1日、東京・大田区総合体育館

 「盛り上がるならもう一度井岡(一翔、世界ボクシング協会=WBA=フライ級王者)選手とやってもいい」

 あえて厳しい戦いを。そんな気概も戻っていた。

日本人初の「快挙」

 15年12月。八重樫は国際ボクシング連盟(IBF)ライトフライ級王者ハビエル・メンドサ(メキシコ)に挑戦をした。

 一進一退の攻防。中盤は相手の連打を受けて体がぐらつく場面もあった。

 それでも八重樫は、足を踏ん張り耐え抜いた。判定。ジャッジ1人がフルマークを付けた完勝だった。

12回、ハビエル・メンドサの顔面に左を打ち込み、一気に攻め込む八重樫東(左)

 日本人男子3人目となる世界3階級制覇。

 「メジャー団体の最上位タイトル」だけに絞れば、日本人初の快挙だった。それでも八重樫はこう言った。

 「記録はあくまでおまけで、強い選手と戦うことが喜びであり仕事です」

3階級制覇の偉業を果たし、妻の彩さんや3人の子どもたちと喜びを分かち合う八重樫東(中央)=15年12月29日夜、東京・有明コロシアム

 翌2016年3月。震災から5年を迎えた被災地に、八重樫はメッセージを送った。

 「自分のボクシングを見て、また頑張ろうという気持ちが芽生えるような試合をしたいし、しないといけない。岩手への強い思いは薄れることはないし、変わるものではない」

八重樫東選手を囲んで記念撮影する金ケ崎小の児童=16年2月2日

引退勧告も…前人未到への挑戦

 頑張ろう、と思ってほしい。

 その一心で戦い続けてきた。

 だがさしもの激闘王も、徐々にベテランの領域に入ってきていた。

 17年5月、ミラン・メリンドにまさかの初回KO負けを喫し、王座から陥落した。

1回、ミラン・メリンドの左フックを受け1回目のダウンを喫した八重樫東(左)=17年5月21日、東京・有明コロシアム

 すでに34歳。大橋会長からは引退を勧められた。

 だが「やらせてください」と懇願した。

 すさまじい練習量で、再びリングに立つことを目指す。

 それを見た大橋会長は「辞めろとは言えなくなった。心を動かされた」と振り返る。

 あえて困難な道を歩くスタンスも変えなかった。

 10月、2階級上のスーパーフライ級に転級し、日本男子初となる世界4階級制覇に挑戦することを表明。「前人未踏」の挑戦だった。

迫る「決断の時」

 一方、被災地も次の目標を見いだす時期に入っていた。

 誰もがこれまでに経験したことがない複合災害からの復興。

 こちらもまた「前人未踏」の挑戦が続いていた。

鵜住居地区防災センターで犠牲になった住民の冥福を祈り、復興のまちづくりを誓う親子=17年3月11日、釜石市鵜住居町

 住宅や店舗の再建が進む。

 防潮堤や道路、鉄道などと併せ、「目に見える復興」のゴールが近づく。

 同時に、避難生活を支えてきた仮設住宅や仮設店舗などの支援は廃止や集約に向かう。

 それは、被災者が個々の生活再建と自立に向けた決断を迫られることを意味していた。

解体を前に公開された旧大槌町役場庁舎。窓や壁が壊れ、震災当時のままがれきが残る=18年6月13日、大槌町新町

 まちが負った傷も深く、産業や医療、衣食住の環境は完全には戻らない。

 結果として「人とにぎわいを取り戻す」という復興の青写真と、現実の乖離(かいり)も広がり始めていた。

 人口減少に歯止めがかからず、なりわいの先行きが描きづらい。

 そんな中で、いや応なしに全ての人に「決断の時」はくる。

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 この記事は、岩手日報社が「LINE NEWS」編集部と共同で企画、構成しました。記事全文は「LINE NEWS」でもご覧いただけます。

 

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