2021.03.10

八重樫東と被災地の終わりなき戦い④

捨て身の攻撃。止まぬ声援

 八重樫は迎え撃つ王者の立場ながら「僕にとってチャレンジそのもの」と表現した。

 言葉通り、挑戦者ながらゴンサレスに穴はなかった。

 第3ラウンドに早くもダウンを奪われたが、それでも八重樫はひるまずに打ち合いを挑んだ。

 両目を腫らしながら前に出る。

 その背を押すように、大声援が会場を包む。ラウンド終了のゴングが聞こえないほどだった。

ローマン・ゴンサレスと激しく打ち合う八重樫東(右)=14年9月5日

 劣勢であることは明白だった。終盤、八重樫は捨て身の攻撃に出た。

 第9ラウンド。右ストレートがゴンサレスをとらえた。だが次の瞬間、最強の挑戦者の波状攻撃が始まった。

 八重樫は力尽きてマットに沈んだ。初めてのKO負けだった。

 だが諦めない戦いぶりに胸を打たれた会場のファンは、試合後も涙ながらに「アキラ」コールを送り続けた。

人生初の「屈辱」

 ゴンサレス戦の直後。

 八重樫は北上市の母校黒沢尻西小を訪れ、講演をしていた。

児童と語らう八重樫東=2014年11月1日

 「一生懸命戦ったが負けてしまった。だが心の中には、諦めずに頑張れば王者になれるという気持ちがある」

 諦めなければ夢はかなう。

 戦いを通して、岩手の子どもたちにそう伝えたかった。

試合後に健闘をたたえ合う八重樫東(中央右)とローマン・ゴンサレス(中央左)=14年9月5日、東京・代々木第二体育館

 八重樫はゴンサレス戦からわずか4カ月弱という強行スケジュールで、世界タイトルに挑戦した。

 フライから階級を一つ下げ、世界3階級制覇を懸けたWBCライトフライ級王座決定戦。しかし、ペドロ・ゲバラ(メキシコ)にKO負けした。

 人生で初めて、ボディーでダウンした。

 「情けなくて涙も出ない」。ボクサーとしての屈辱を味わった。

謝罪。迷い。

 地元のヒーローの挑戦を見届けようと、会場には岩手から応援団ら約100人が駆け付けていた。

 八重樫は試合後、彼らに「すいませんでした」と謝罪したという。

 負けたから、なのか。

 あるいは、前に出続ける姿を見せきれなかったから、なのか。

ペドロ・ゲバラに敗れた試合後、観客に向かってあいさつする八重樫東(中央)

 年が明けた15年1月3日。

 故郷の北上市でトークショーに臨んだ八重樫は、率直に迷いを明かした。

 「正直、このままボクシングを続けて良いか迷っている」

再出発。戻る気概

 この年、被災地では復旧・復興に向けた大規模土木工事が本格化していた。

 宮古市田老乙部では243戸が入居する高台団地の造成が進み、釜石市鵜住居(うのすまい)町では19年ラグビーワールドカップ(W杯)の競技場建設地のかさ上げに向けた準備が始まった。

のちにラグビーW杯会場となった釜石鵜住居復興スタジアムの建設地=15年3月4日、釜石市鵜住居町

 野田村の十府ケ浦(とふがうら)海岸は高さ14メートルの防潮堤が姿を現し、大船渡市の大船渡湾には全国ブランドのカキの養殖いかだが戻った。

 そして八重樫も、世界戦2連敗のショックをようやく払しょくしていた。

 震災から4年となる同年3月「進退についてあやふやにしてきたが、もう一度世界チャンピオンを目指す」と宣言した。

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 この記事は、岩手日報社が「LINE NEWS」編集部と共同で企画、構成しました。記事全文は「LINE NEWS」でもご覧いただけます。

 

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