2021.03.10

八重樫東と被災地の終わりなき戦い②

被災地こそ大変なのに…

 そのころ、岩手県内では自衛隊や米軍の合同部隊による行方不明者の集中捜索が行われていた。

 この時点で、不明者は4500人を超えた。

 4月とはいえ、北国岩手はまだまだ寒さが残っている。

 被災地は気温が氷点下まで下がる。集中捜索を伝えるニュース映像からは、住民の気持ちが沈んでいる様子も伝わってくる。

ゴムボートに乗り、湾内に浮かぶ養殖棚のがれきをくまなく捜索する海上自衛隊員=2011年4月1日、陸前高田市・広田湾

 だがそんな中でも、八重樫のもとには岩手から、4月のタイトルマッチに向けた励ましのメッセージが次々と届いていた。

 自分たちこそが大変なはずなのに…。自然と腹がくくれた。

 試合開催が決まった以上、ボクサーとして万全な準備をしなければならない。

初の快挙。得られた"実感"

 哀悼の意は、トランクスに喪章を付けることで表した。

 「大きな災害で大変な思いをしている人たちに、少しでも勇気、元気、希望を与えられる試合をしたい」

日本ミニマム級タイトルマッチ 8回、田中教仁にパンチを浴びせる八重樫東(右)=2011年4月2日、東京・後楽園ホール

 八重樫は挑戦者の田中教仁(ドリーム)を下し、3度目の防衛を果たした。

 そして半年後の10月、初の世界タイトルを手にする。岩手県出身のボクサーとして、初めての快挙だった。

 「こういう立場になって、できることはいっぱいあると思う。できる限りのことをやりたい。岩手出身者が世界王者になったことを多くの人に知ってもらえれば、モチベーションになる」

 王者としての第一声にも、ふるさとへの思いがこもった。

八重樫東がTKO勝ち。岩手県人初の世界王者誕生に喜びを爆発させる応援団=11年10月24日、東京・後楽園ホール

 自分は被災地に元気や勇気を与えられるのか。疑念がなかったわけではなかった。

 だが、チャンピオンになったことで、周囲の注目度は大きく変わった。

 「影響を与えられる選手になったんだなと実感できた。頑張ってきて良かったと思った」

メディアも騒然。世紀の一戦

 震災発生から1年後の12年3月。

 沿岸被災地にはがれきが山と積まれ、住民は厳しい生活が依然として続いていた。

校舎が全壊した気仙小。校庭にはがれきが山積みされていた=陸前高田市気仙町=2012年3月3日

 そんな被災地の人々を鼓舞するかのように、八重樫はあえて厳しい戦いを選びだす。

 6月。ボクシングファンに留まらず、日本中が「その試合」の話題で持ちきりになった。

 WBA王者・八重樫と、世界ボクシング評議会(WBC)ミニマム級王者・井岡一翔との王座統一戦。

 井岡は、現役時代に世界王座2階級を制覇した弘樹さんを叔父に持つ。

 その指導を受け、日本選手最短のプロ7戦目で世界王座に就いたボクシング界の「エリート」だ。

統一戦の調印を終え、チャンピオンベルトを肩に静かに闘志を燃やすWBA王者の八重樫東(右)とWBC王者の井岡一翔=12年6月18日

 日本人同士の両王座統一戦は史上初でもあった。

 いったいどちらが勝つのか。事前からメディアでも連日大きく取り上げられた。

なぜ?「強い相手に勝ちたい」

 会場の大阪・ボディメーカーコロシアムには、開場前から長蛇の列ができた。

 観衆は約8700人。井岡の地元とあって、井岡ファンが多かった。

 だがリングに上がった八重樫には、地元岩手から駆け付けた人々の声援がしっかりと届いていた。

 試合では、王者と王者の意地がぶつかり合った。

 12回の激闘が終わると、満員の観衆がスタンディングオベーションで両者を迎えた。八重樫の腫れ上がった両目が、戦いの激しさを物語っていた。

 0-3の判定負け。ジャッジは3人とも1~2ポイントの僅差で、内容的にも最後まで目が離せないスリリングな試合だった。八重樫は世界タイトルを獲得したポンサワン・ポープラムック戦に続いて、見る人の心をわしづかみにする戦いをみせた。

 「激闘王」。

 人は八重樫を、そう呼ぶようになった。

WBC王者井岡一翔に判定で惜しくも敗れた八重樫東(左)=12年6月20日、大阪市・ボディメーカーコロシアム

 初の世界王座防衛戦。

 それなのになぜ、難しい対戦相手を選ぶのか。そう問われ、八重樫はこう答えていた。

 「強い井岡に勝ちたい、という気持ちが強い」

 長く、険しい復興の道のりを行く岩手の人々に、どこかで自分を重ね合わせていたのだろうか。

初の沿岸部訪問。衝撃の光景

 井岡戦から1カ月後、八重樫は被災地をようやく訪れることができた。

 一関市の牧場から贈られた牛1頭分の肉を、陸前高田市の被災した住民らに振る舞うためだった。

 心の準備はしていたつもりだった。

 だがそれでも、被災地の現状を見た八重樫は衝撃を受けた。

 「テレビで観た通りのひどい姿だった。復興にはまだまだ時間がかかる」

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 この記事は、岩手日報社が「LINE NEWS」編集部と共同で企画、構成しました。記事全文は「LINE NEWS」でもご覧いただけます。

 

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