2021.03.10

八重樫東と被災地の終わりなき戦い①

 2021年1月、横浜市の大橋ジム。

 緊急事態宣言下の昼下がり、誰もいないフロアで、小柄な男がシャドーボクシングをしている。

 キレのよい動き。シューズが床をこする音がリズミカルに響く。

 「彼はもう現役選手ではない」と言って、信じてもらえるだろうか。

 八重樫東、37歳。

 現役時代は世界3階級制覇の偉業を達成。「激闘王」の異名をとった伝説のボクサーだ。

 八重樫はいま、トレーナーとして後進の指導に当たっている。

 構えたミットが、派手な音を立てる。

 その奥で光る目にもまた、現役さながらの殺気がみなぎっている。

 「新しいボクサーを育てたい。僕のボクシング人生は現役だけではない」

 引退の節目を迎えてなお、戦いをやめようとはしない。

 その背中に、復興への歩みを止めない東北の人々の姿が重なる。

歓喜の裏で…故郷への思い

 11年10月24日。

 八重樫は後楽園ホールのリングの上に、大の字になっていた。

 KOされたわけではない。

 世界ボクシング協会(WBA)ミニマム級王者・ポンサワン・ポープラムック(タイ)との激しい打ち合いを制し、TKO勝ち。悲願の世界タイトルを奪取したのだ。

岩手県人初の世界王者に輝いた八重樫東=11年10月24日、東京・後楽園ホール

 レフェリーが試合を止めると、八重樫はリングに倒れ込んで喜びを爆発させた。

 ホールは大歓声に包まれ、拍手と「アキラ」コールはしばらく鳴りやまなかった。

WBAミニマム級の王座奪取から一夜明け、記者会見で笑顔でポーズをとる八重樫東=2011年10月25日、横浜市の大橋ジム.

 「勇気をもらったという人が、1人でもいてくれれば幸せだ」

 インタビューでそう語った新王者の脳裏には、大きすぎる傷を負ったふるさと岩手のことがあった。

リングに上がっていいのか

 時をさかのぼること半年。

 11年3月11日、東日本大震災が発生した。

 八重樫が生まれ育った岩手は、甚大な被害を受けた。

 特に沿岸部は、母淳子さんが中学校、高校時代を過ごした大船渡をはじめ、津波によって多くの死者、行方不明者を出した。

津波によって破壊された地区。がれきとなった住宅に向かい、家族の名を呼ぶ住民の声が響いた=2011年3月12日、大船渡市

 その瞬間、八重樫は神奈川県内の自宅にいた。

 大きな揺れにも驚いたが、その後テレビのニュースが伝え続けた被害状況をみて、ぼうぜんとなった。

 大変なことが起きた--。

 岩手県内に住む両親とも、いつまでたっても連絡が取れなかった。

 地元のみんなは、どうしているだろうか。かつてない不安がせりあがってきた。

大津波から一夜明けた宮古市役所周辺。水は引いたが、大量の泥やがれきが残った=2011年3月12日、宮古市新川町

 4月2日には日本ミニマム級タイトルマッチが控えていた。

 試合があればリングに上がる。今までは当たり前のことだった。だが、大震災に加えて、3月26日に拓大時代の恩師が亡くなったショックもあった。

 こんな状況でリングに上がっていいのか、ボクサー人生で初めて迷った。

 続きを読む 

 この記事は、岩手日報社が「LINE NEWS」編集部と共同で企画、構成しました。記事全文は「LINE NEWS」でもご覧いただけます。

 

関連リンク