故郷の「日常」大切に 震災10年ともに
栃木県那須塩原市 パート 森 志津枝さん(61)
2011年3月10日、陸前高田市の実家を後にした私は、帰りたい場所、戻りたい場所、「故郷」がまさか無くなってしまうとは思ってもいませんでした。
嫁ぎ先で周囲の人によく言われました。「故郷があっていいねえ。私なんかここから出たことないから、故郷なんてないもの」「故郷は岩手だよね。リアス海岸の三陸でしょ、行ってみたいなあ」
何もかもが流され、再会の約束がかなわなくなった恩人。少し前の母の葬儀で、御詠歌を歌ってくれた同級生のお姉さん。6人の同級生…。一人一人が、それぞれ思い出深い同級生だった。母の形見は何一つ見つからなかった。
生まれ育った家は基礎と一部の土台だけだった。もう決して戻らない、生まれ育った「故郷」。
復興はゼロかマイナスからのまちづくりとなった。新しい、見たこともない、住んだこともない全く未知の景色がつくられていった。そこには生まれ育った家もなく、生まれ育った故郷の姿もほとんどない。変わらないのは何もかも奪っていった海と、全てを見ていた空、無くなった思い出。
無くなった故郷。故郷があって、ある日突然、思いもよらぬ自然の力で奪い去られるという、この思いは当事者でなければ分かってもらえないかもしれないけれど…。
どうか
一日一日を大切に
隣にいる人を大切に
「思い出」を大切に
「旧友・級友」を大切に
「家族」を大切に