2021.02.02

⑨被災地を歩く 陸前高田市・高田小

【2011年3月13日】 がれきに覆われた高田小。消防団員が行方不明者を捜索していた
【2011年6月23日】 がれきが撤去された学校に子どもたちの元気な声が響いた
【2013年4月5日】 校庭で遊ぶ児童。復興途上のまちで、学校は子どもの貴重な遊び場でもあった
【2020年2月17日】 高田小跡地に新しい市庁舎の建設が進む
【2021年1月22日】高田小の跡地に建設中の市庁舎。新校舎は高台に移転した
【写真=2011年3月13日、11年6月23日、13年4月5日、20年2月17日、21年1月22日】

苦悩乗り越え語り継ぐ

 陸前高田市の市街地を見下ろす、高田小の新校舎。東日本大震災で1階が浸水した旧校舎から山側に800メートルの場所へ1年半前に引っ越した。津波の心配がない高台で、子どもたちが元気な声を響かせる。

 昼休みになると、児童は一斉に校庭に飛び出す。鬼ごっこ、縄跳び、ドッジボール-。思い思いに体を動かし、笑顔があふれる。新しい校舎と広い校庭、旧校舎跡地で進む7階建て市庁舎の建設。様変わりした学校周辺の様子に、改めて10年の月日を感じた。

高台に立つ新校舎で元気な声を響かせる児童=陸前高田市・高田小

 震災との向き合い方も変わった。同校は2020年度、これまで控えてきた震災学習を始めた。市内の小学校で唯一、児童7人が犠牲になった同校。現在も親を亡くした児童がいる。「まだ早い」。そんな空気が長く学校現場を包んでいた。

 扉を開いたのは、同校出身で自身も震災で父母を亡くした金野美恵子校長(59)。「子どもたちは10年、20年後も生き抜いて地域や社会を支える人材になる。被災地で育った子どもたちが震災を知らなくていいのか」。子どもたちが強く生きるために。その思いは教員にも広がり「逃げずにやってみたい」と声が上がった。

 初回の講師には、地域で活動する人を選んだ。震災で犠牲になった息子の思いを絵本にし、悲劇を繰り返さぬよう、高台へ続く避難路にハナミズキを植える「ハナミズキのみち」の会の浅沼ミキ子代表(57)と、津波到達点にサクラを植え続ける認定NPO法人「桜ライン311」(岡本翔馬代表理事)。それぞれの生きざまがそのまま学びになると思ったからだ。

 浅沼代表の講演を聞いた4年生は、震災を知らない世代。照井穂乃花さんは「心にぐっときた」と思いを寄せ、熊谷公輔君と上部百葉(ももは)さんは「ハナミズキが目印になって、走って避難できるように草取りをした」と、目印が枯れないよう保全活動に取り組んだ。

 授業は好評だった。児童が自ら地域について考える契機となり、家庭で震災の話題を避けてきた保護者からも「語り継いでいかないと」と感想が寄せられた。金野校長は「児童が街のために何かをしたいと考えられるようになったのが一番の成果」と振り返る。

 震災後、定期的に同校を訪れてきた。最初は震災3日目。山側から市街地を目指してたどり着いたのが同校だった。そこから見た戦後の焼け野原を思わせる光景と、鳥の鳴き声も生活音も聞こえない恐ろしいほどの静寂を今も覚えている。

 学校現場は苦悩の連続だった。周囲をがれきに覆われた学校で、授業を再開したのは4月20日。大勢が家を流され、親を亡くした児童は58人に上った。「こんな悲しい状況で、どう子どもたちを迎えたらいいのか」。校長だった木下邦男さん(64)=同市気仙町=は、当時の不安な心境を振り返る。

 もう一つの葛藤が、ボランティアが校庭に掲げたこいのぼり。色鮮やかなこいのぼりを子どもを亡くした親が見たら、どんな思いをするのか-。思い悩んだ末に、そのまま掲げることにした。「きれいだった」からだ。それほど被災地は色を失い、深い悲しみに包まれていた。

 (報道部・宮川哲)

【2011年3月13日】 がれきに覆われた高田小。消防団員が行方不明者を捜索していた
【2021年1月22日】 高田小の跡地に建設中の市庁舎。新校舎は高台に移転した
【写真=2011年3月13日、21年1月22日
 

 高田小 陸前高田市高田町にある市内で最も児童数が多い小学校。震災で1階が浸水した。震災時の児童437人のうち半数以上の自宅が全壊し、58人が親を亡くした。震災後は市外への転出も相次いだ。現在は173人が通う。