初めての沿岸暮らしに、少しずつ慣れてきた。12月になっても宮古市街地に雪が積もることは少なく、「貼るカイロ」を手放せない寒がりにはありがたい。

 支局に着任し5カ月。せわしない毎日だった。慣れない分野の取材が増えた上に、土地勘ゼロが何よりこたえた。地図を確認しても道に迷い、疲労感をずしりと抱えて帰途に就く繰り返しだった。

 8月のある日、「疲れた顔はしていられない!」と目が覚める出会いがあった。岩泉町門の100歳、中村寛得(かんとく)さん。話を聞く中で誕生日が同じと判明し、76歳差の不思議な巡り合わせに驚いた。

 第2次世界大戦中は、通信兵として千島列島のウルップ島(得撫島)などで従軍。当時の生々しい体験を静かに語ってくれて、「国と国のけんかでも犠牲になるのは市民だ」との言葉が印象的だった。北海道の室蘭で迎えた終戦当時、中村さんは今の私と同じ24歳。わが身だったらと、考えずにはいられなかった。

 取材の際、「今日は朝早く起きて芋掘りしたよ」と快活に話していた。100歳とは思えないほど元気な中村さんの目標は「日本一の長寿になること」だという。「平成生まれなのかい」と驚かれたが、人生の大先輩に負けてはいられない。自然とエネルギーが湧いた。

(八幡文菜)