2021.10.28

別居後も変わらぬ絆

夫の司さんと並ぶウエディングドレス姿の小野寺美保子さん。結婚生活は「けんかはよくしたけれど、楽しかったこともいっぱいありました」と話す=1997年3月、盛岡市内(小野寺さん提供)
夫の司さんと並ぶウエディングドレス姿の小野寺美保子さん。結婚生活は「けんかはよくしたけれど、楽しかったこともいっぱいありました」と話す=1997年3月、盛岡市内(小野寺さん提供)

脊髄小脳変性症

小野寺 美保子おのでら・みほこさん(56)=盛岡市

 

②結婚

 脊髄小脳変性症患者の盛岡市の小野寺美保子さん(56)は22歳のときに初めて就職した。中学卒業以来続けてきた洋裁の訓練を生かそうと、市内の縫製工場に勤めた。縫い物が得意で、中学の時に亡くなった母美和さんの面影が胸にあった。

 就職できたことはうれしかった。現実は甘くなかった。職場に障害者は自分だけ。手先を使う作業に支障はなかったが、病気のため動きの鈍さは自覚していた。

 流れ作業の仕事に「付いていけなかった」。あてがわれたのは雑用。工場は約1年で廃業し、市内の別の縫製工場に再就職した。

 そこは他に数人の障害者が働いていた。オーダータイプの紳士服の袖口やズボンの裾のまつり縫いを任された。「やりがい…、あったのかな。こんなあたしでも使ってくれるんだなあ、という感じでしたね」

 25歳ぐらいから長い距離を歩くのがつらくなった。年を経るごとに、ふらつきや転倒が増えていった。片道10分の徒歩通勤も介助抜きには難しかった。15、16年働いた頃、工場の閉鎖を告げられた。新しい職場を探すつもりはなかった。

 「何をやるにも作業が遅いし、雇ってくれる所はないだろうと思った。もう無理かなと」

 悔しさや残念という気持ちはなかったですか-。「手に職が付き、手芸など今の楽しみにつながっていますからいいと思う」。迷いなく答えた。

 車椅子に座ったウエディングドレス姿の小野寺さんに男性が寄り添う。縫製工場に勤めていた32歳のとき、2歳上の司(つかさ)さん(58)と同市の盛岡グランドホテルで挙式した。恋愛結婚だった。

 司さんは幼い頃の交通事故で片まひやてんかんの障害があった。あまり仕事をしていなかった司さんとの結婚に不安はあった。それでも「こんなにわがままで頑固な自分をもらってくれる人は他にいないと思いました」。

 障害者同士の結婚を不安がる声は一部にあった。小野寺さんは「父は喜んでくれた。心配した人も最後は縁があったから仕方ないという雰囲気だったと思う」と振り返る。

 1間の狭いアパートで2人暮らし。結婚してしばらくすると小野寺さんは自力歩行が難しくなり、室内を膝立ちで移動するようになった。共に仕事を辞め、生計は2人で2カ月30万円ほどの障害年金頼みに。買い物や料理は主に喫茶店勤務の経験があった司さんの役目だった。

 夫婦に子どもはない。司さんから伝えられていた。強い薬を飲んでいるから子どもはつくれない、と。

 「子どものことは最初から頭になかった」と小野寺さん。一方で「いたらいたで楽しかったかも」「虐待のニュースを見ると私にちょうだいと思う」。子どもを巡る言葉は少し揺れる。

 司さんは7、8年前、宮城県内で開かれた法事に出席した際にてんかんの発作で倒れた。それ以前から小野寺さん同様、車椅子を利用するようになっていた。司さんはこのときから、同県のきょうだい宅で生活するようになった。

 以来別居が続く。最後に会ったのは5年ほど前だが、小野寺さんは「司君は全介護で、今後一緒に暮らすことはないと思う。私も一人は慣れっこ」と寂しさは見せない。

 毎年1月と3月のお互いの誕生日にプレゼントを交換し、電話しあう。今年は手袋やマフラーが届き、自分は南部せんべいを送った。夫婦は緩やかに、でもしっかりとつながり続けている。

 

 障害者の就労 障害者白書(2021年版)によると民間企業の雇用障害者数は20年6月現在、57万8292人(前年同期比1万7683.5人増。短時間労働は0.5人計算)。17年連続で過去最高を更新した。雇用する障害者の割合を示す実雇用率は2.15%(同0.04ポイント増)、法定雇用率(2.2%)の達成企業割合は48.6%(同0.6ポイント増)。主な課題に週20時間未満の短時間労働者の雇用機会確保や中小企業の雇用促進が挙げられる。国などでは近年、障害者雇用の水増しが問題となった。

 

関連リンク