2021.01.06

②被災地を歩く 大船渡市三陸町越喜来

【2011年3月12日】 津波によって破壊された街並み。がれきをかき分け、家族を捜す住民の声が響いた
【2011年6月18日】 がれき撤去が進んだ街で、犠牲者を弔う金津流浦浜獅子躍保存会のメンバー
【2013年4月6日】 県道かさ上げ計画による仮設店舗の移転に頭を悩ませる浦浜サイコー商店会の商店主たち
【2015年10月13日】 三陸サイコー商店会の看板を見つめながら、本設店舗移行までの苦労を語り合う店主たち
【2020年2月11日】 越喜来中の運動会の伝統競技「ヘビの皮むき」に取り組む住民有志。閉校が迫る学びやに、人々の声援と笑い声が響き渡った
【2020年12月28日】 被災跡地に立つ(左から)菊地研さん、流斗さん、瑠華さん、礼華さん、凛華さん親子。東日本大震災から10年という時間を振り返り、それぞれが未来を見つめる=大船渡市三陸町越喜来
【写真=2011年3月12日、11年6月18日、13年4月6日、15年10月13日、20年2月11日、20年12月28日】

変わらぬ古里への思い

 目を閉じると、東日本大震災翌日の悲惨な光景が今でも浮かぶ。津波は私の古里でもある大船渡市三陸町越喜来(おきらい)地区の中心部を破壊し尽くし、見慣れたまちは一変した。がれきで押しつぶされた車椅子、ぬれて変色した家族写真、泥が詰まったランドセル-。自宅跡地で家族を捜す人々の姿に胸が締め付けられた。

 100日後、がれきが撤去された被災跡地で、地元の金津流浦浜獅子躍保存会のメンバーが地域内を巡り、鎮魂の舞をささげていた。その踊り手を務めていた菊地研さん(38)に12月末に再会した。「震災前の越喜来を忘れたくないと思っていたが、細かい場所は記憶があいまい。それだけ長い時間が過ぎたんだね」と打ち明ける。

 震災という大きなうねりで、古里はいや応なく変貌を遂げた。復興事業で防潮堤が整備され、越喜来湾は見えない。浸水域の住家は高台に移り、中心部に人影は少なくなった。

 それでも、住民の郷土愛は強い。2020年3月の越喜来中閉校前には、菊地さんら有志が運動会の目玉競技「ヘビの皮むき」を復活。350人以上が集結した姿に胸が熱くなった。

 越喜来中は吉浜中、日頃市中と共に大船渡・一中に統合された。菊地さんの長女、瑠華(るか)さん(2年)は「他の地域の生徒ともすぐになじんで、もう違和感はない」と笑う。

 菊地さんは野球のスポーツ少年団、三陸KOスポ少を立ち上げ、監督として人材育成にも力を注ぐ。長男流斗(りゅうと)さん(一中1年)は小学6年生の時に県選抜選手となり全国大会に出場。次女礼華さん(越喜来小5年)、三女凛華さん(同1年)が所属する現チームも21年夏の全国大会出場を勝ち取った。

 前を向いて歩み続ける子どもたち。流斗さんの「大変な状況でも住民が応援してくれる。全国で活躍できる選手になり、明るい話題を届けたい」との決意を頼もしく感じた。

 夕刻に訪れた三陸サイコー商店会は、地域再生の象徴的な存在だ。いち早く仮設商店団地の整備に動き、困難を乗り越え、県内で初めて本設商店街への移行を果たした。

 仮設時の商店会長を務めた佐々木政紀さん(69)は「無我夢中で目の前の課題に挑み続けた」と振り返る。震災10年で国の支援は減り、記憶の風化も進む中、「復興に節目はない。心の再生や地域振興は今後も官民が連携して取り組む必要がある」と危惧する。

 さらに新型コロナウイルス感染症の影響は色濃い。泊地区で民宿嘉宝荘を自力再建した嘉志一世(かし・いちよ)さん(69)。昨年の利用客は平年の1割程度だった。「仕出し弁当の受注や常連客の支えで何とか継続できている」と窮状を語る。

 震災は人と人の絆を結ぶ契機となったが、コロナはそのつながりすら奪おうとしている。嘉志さんは「本来ならば、10年というタイミングで多くの人に復興状況を見てほしかった。せめて手紙や電話で心の交流は続けたい」と誓う。

 越喜来をはじめ被災地の人々は、歯を食いしばって復興へと進んできた。しかし、度重なる試練に疲労の色は濃く、自助や共助にも限界がある。震災10年の後も国や県による「住民に寄り添う」支援が必要だ。古里が未来に続いていくための歩みを総力で後押ししたい。

 (宮古支局・刈谷洋文)

【2011年6月18日】 がれき撤去が進んだ街で、犠牲者を弔う金津流浦浜獅子躍保存会のメンバー
【2020年12月28日】 被災跡地に立つ(左から)菊地研さん、流斗さん、瑠華さん、礼華さん、凛華さん親子。東日本大震災から10年という時間を振り返り、それぞれが未来を見つめる=大船渡市三陸町越喜来
【写真=11年6月18日、20年12月28日】
 

 大船渡市三陸町越喜来の復興状況 旧三陸町の中心部に位置し、浦浜、崎浜、泊、甫嶺(ほれい)の4地区で構成。東日本大震災の死者・行方不明者は88人で、大船渡市全体の約2割。住家は533戸が被災し、市役所三陸支所や三陸公民館、旧越喜来小校舎などの公共施設も被害を受けた。20年11月30日現在の人口は2217人。少子高齢化の進行や人口流出などで震災前に比べ約700人減少した。防災集団移転促進事業で多くの住宅が高台に移り、被災した越喜来小も高台で再建された。三陸鉄道三陸駅付近の被災跡地では、イチゴ栽培施設が稼働している。