2021.01.05

①被災地を歩く 陸前高田市中心部

【2011年3月12日】 震災翌日の陸前高田市中心部。一面のがれきが救助の行く手を阻んだ
【2013年4月18日】 スーパーマーケットのマイヤなど目印となっていた建物が姿を消した
【2014年5月31日】 盛り土が始まった市街地。奥には土砂を運搬するベルトコンベヤーが見える
【2017年4月17日】 高台移転地の造成が終了し、徐々に住宅の建設工事が始まった大立・永浜地区
【2020年12月22日】 かさ上げ地に住宅が建つが、空き地のままの区画も多い
【写真=2011年3月24日、11年6月12日、13年4月12日、17年4月17日、19年2月19日】

新たな暮らし、決断重く

 津波で壊滅した旧市街地を最大12メートルかさ上げして整備した、陸前高田市高田町の中心部。大型商業施設のアバッセたかた周辺には、多くの商店が復活した。広場で遊ぶ子どもたちのサッカーボールが転がってくる。蹴り返すと、にこりと礼をした。震災後の長い間こんな笑顔が戻ることなど考えもできなかった。

被災したかつての自宅周辺を歩き「多くの人が高台に家を再建した」と10年の歩みを振り返る新沼慶子さん=4日、陸前高田市高田町

 震災時、市内唯一のマスコミ拠点だった陸前高田支局から高台の寺へ移動し、津波を撮った。支局は流失。数日後、無残なまちを前に、元に戻るまで何年かかるか自問したことがある。「10年」というのがその時浮かんだ答えだった。

 被災地へ向かう自衛隊、消防、警察車両の長い列。がれき撤去に続き、巨大なベルトコンベヤーで運ばれた土砂で浸水域がかさ上げされた。2017年春、かさ上げ地初の営業施設としてアバッセたかたが開業し、中心市街地が復興ののろしを上げるまで6年という歳月を要した。

 間もなく10年。それぞれが懸命に再生へ向かって歩んできた。被災した住宅の多くは高台に再建され、新沼慶子さん(78)もかさ上げ地に家を建てて戻るつもりはないという。まちは、かつてよみがえると想像した震災前の姿とは異なる様相を見せている。

 懐かしい海風に吹かれながら、震災まで3年間暮らし、津波で消えた陸前高田市中心部のまちの姿を思い出す。JR陸前高田駅前に延びる商店街。突き当たりを左に曲がって約200メートル先に、住居を兼ねる陸前高田支局があった。

 支局の壁に張ってあったハザードマップの予測浸水深は1メートル前後。市民は決して侮った避難行動を取って犠牲になったわけではないという思いがよみがえる。実際は10メートル超の津波が、商店や公共施設などを含む職住近接のまちを覆い尽くした。

被災した自宅近くに換地された土地の前で「ここにはもう戻る予定はない」と語る新沼慶子さん=陸前高田市高田町

 今、街路を歩くと、復活した商店を数多く目にする。それに対して住宅はかつてほどの軒数が見られず、空き地が目立つ。市民は、どんな思いで、どこについのすみかを選ぶのか。自宅が被災した人を探した。

 アバッセたかたに隣接するかさ上げ地。土地区画整理事業を経て割り当てられた宅地を前に、新沼慶子さん(78)は「今は県外の息子の名義になっている。ここに家を建てて暮らすつもりはない」とつぶやいた。

 新たな自宅は約2キロ離れた高田町の市道沿いの高台にある。中心部の荒町地区の自宅が流失した後、所有する山を夫の初夫さんが独自に造成し、2011年末に再建した。

 翌年4月、初夫さんは73歳で亡くなった。新沼さんは「私は運転免許がないからバス移動。当初はこんな山の中でどうしようと思った」と振り返る。

 再建から9年。生活にもなじんだ。不便さを案じる知人からは、かさ上げ地に家を建てることも勧められるが、「被災前に近所だった人も隣に再建して心強く感じている。何より夫が好きで建てた場所。住めば都ね」とほほ笑む。

 かさ上げ地と高台の両方の土地を所有するケースは、新沼さんのように震災前から複数の土地を持つ人ばかりではない。

 市の土地区画整理事業では、従前の土地の代わりに山を切り崩して造成した高台を選ぶこともできた。ただ、高台の土地には最大330平方メートル(100坪)の制限があり、結果としてかさ上げ地にも土地が換地され、土地が二つに分かれることになった。

 市は残った土地が小規模の場合は買い取りも行ったが、全てではない。「まちに住宅が戻ってこない」「空き地が多い」と報じられる全国ニュースを目にするたびに、新沼さんは首をかしげる。

 「うちみたいに山があった人たちが家を建て、その後に造成された高台の住宅地にも多くの人が移った。空き地が多いのは当たり前のこと」。中心部で被災した人たちはおおむね自宅を再建し、新沼さん自身、かさ上げ地の区画の一部は建設業者の事務所用地として貸し出している。

 家族や自宅を失ったため、いくらかさ上げをしたとはいえ、浸水域に戻る気にならなかったという高台居住者も多いだろう。

 未来に向かってどんなまちの未来像を描いていくか。強みの一つは、全国にいる地元出身者や震災支援者らとのつながりだ。震災後に移住してきた若者も少なくないと聞く。さまざまな場面で若い世代の力を生かしていくことに希望を見いだしたい。

 (文化部・鈴木多聞)

【2011年3月12日】 震災翌日の陸前高田市中心部。一面のがれきが救助の行く手を阻んだ
【2020年12月22日】 かさ上げ地に住宅が建つが、空き地のままの区画も多い
【写真=2011年3月12日、20年12月22日】
 

 陸前高田市の復興状況 震災時の人口2万4246人のうち1757人が犠牲となった(行方不明者含む)。陸前高田商工会は699会員のうち604会員が被災し、268会員が廃業、23会員が転出した。震災後の起業者は101。大型商業施設「アバッセたかた」が2017年4月に開業した中心市街地には現在、店舗や事業所など100軒近くが再建された。市内の災害公営住宅は17年6月に11団地895戸の整備が全て完了した。高田、今泉両地区を合わせた民有地の土地利用率は25・2%(20年12月現在)。