2021.01.28

目の異変感じた暗さ

網膜色素変性症を患う久保秋悦さん。目に異変を感じたのは暗い所での見えにくさだった=釜石市内
網膜色素変性症を患う久保秋悦さん。目に異変を感じたのは暗い所での見えにくさだった=釜石市内

網膜色素変性症

久保 秋悦くぼ・しゅうえつさん(73)=釜石市上中島町

 

①発症

 約束の時間に合わせてインターホンを押す。部屋の壁を手探りで伝え歩き、玄関に向かってくる姿を想像する。しばし待つ。「どうぞ」。久保秋悦(しゅうえつ)さんがドアを開け、招き入れてくれた。

 目の網膜の障害で起きる網膜色素変性症(色変)を患う。全盲ではない。目を動かさずに見える視野は「横に一直線」。前を向くと、上は「おでこの上側」、下は「下唇の下」あたりが見える限界になる。

 正面に座る記者の顔を尋ねる。「眼鏡とマスクは分かるけど、どんな顔か、はっきりは分からない。男女だと、女性の方が化粧をしているから見えやすい。特に美人さんはよく見えます」。久保さんが笑った。

 目に異常を覚えたのは57歳ごろ。宮城県に本社を置くスーパーに勤めていた。自宅は仙台市内にあった。

 デスクワークをしながら暗さを感じた。「普通の照明だと暗くて字が書けず、手元にスタンドを置くようになった」。夜の車の運転はラインが見えにくく、雨降りのときは特に疲れた。暗い所での見え方が悪くなる色変の代表的な初期症状「夜盲」が起きていた。

 「久保さん、目が赤いよ。ウサギ目みたいになってる」。同僚に指摘されて眼科を受診すると、大学病院での精密検査を勧められた。診断は色変だった。

 「最初は本当に悩んだ」。複数の図書館を回り、医学書などで色変について調べた。明らかな遺伝性もあれば、そうでないケースがあることも知った。

 親やきょうだい、親族に色変の人は思い当たらない。「昔は人生50年時代だから、発病前に亡くなった人がいたのかもしれない。振り返れば若い頃に目を痛めるようなこともあった。仕事が忙しく食生活などが不規則だった影響もあったかもしれない」。久保さん自身、なぜ色変になったのかは分からない。

 競争が熾烈(しれつ)なスーパーマーケット業界で店長やバイヤーなどの要職を務めていた。目の異常以降、軽い接触事故も起こして会社から車の運転を止められ、仕事は内勤に。「現場のフォローができなくなり、このまま机の上で仕事をしても仕方がないと感じた」

 時を同じくするように、釜石市両石町の実家で心配ごとが起きていた。1人暮らしをしていた母の糸子さんの認知症が分かった。

 久保さんはきょうだいで一番の年長だった。「育ててもらった恩返しをしたかった。自分の将来を考えるより、おふくろの介護をしないといけないと思った」

 スーパーを早期退職した。妻と3人の子どもと離れ、単身で古里へ。2005年、58歳の冬だった。

 糸子さんは同居を喜んだ。久保さんの目は今よりだいぶ良かったが、介護には少なからず苦労した。

 糸子さんの爪切りをして誤って指まで切り出血させたことがあった。一度外すと糸子さんがどこに置くか分からない入れ歯の〝捜索〟に手を焼いた。デイサービスからの連絡帳は読めたり、読めなかったりした。

 介護生活が5年となった10年12月、糸子さんは自宅で誤嚥(ごえん)を起こした。救急車を呼んだが、手遅れだった。「自分が無知だった」。久保さんは助けてやれなかったことを悔いた。

 介護のストレスもあり、色変は着実に悪化していた。年明け。健康診断を受けると、予想もしない前立腺がんが分かった。急きょホルモン療法を始めた。

 久保さんは決めていた。「(糸子さんの)『百か日』が過ぎたら仙台に戻ろう」。しかし、直前に東日本大震災が発生。津波は両石町の実家も仙台の自宅も破壊した。

 釜石にとどまる道を選んだ。中学校の体育館で避難所生活を経験した。どこに何があるか分からない場所は慣れるまで大変だったが、周囲に助けられた。

 

 網膜色素変性症とは 目の網膜のうち光を感じる視細胞に障害が起き、夜や暗い場所で見えにくくなったり、視野が狭くなる、まぶしく感じる、全体が白っぽく感じるなどの症状が出る指定難病。発症する年齢や症状、重症度は個人差がある。進行度も異なるが、眼科疾患では進行が遅い。失明する場合もある。明らかに遺伝が認められるのは50%程度。発症頻度は4千人から8千人に1人とされ、医療費助成対象の患者数は国内2万3849人(19年3月末現在)、県内246人(21年1月現在)。

 

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