東日本大震災直後に横浜市から大槌町に移り住み、同町で住宅や工場の設計を手掛けてきた1級建築士、坪谷和彦さん(47)の設計物件が200件を超えた。

 妻子を横浜に残し、再建を待つ期待とプレッシャーを感じながら走り続けた日々。震災10年を前に復興需要は落ち着いたが、深い絆を育んだ大槌の事務所は閉めず、復興後の地域を見つめ続ける決意だ。

 2011年11月。知人に誘われ「職能を生かして力になりたい」と初めて同町を訪れた。想像を絶する現実にぼうぜんとしたが、すぐに再起を急ぐ水産加工会社に工場の設計を頼まれ、同町との往来が始まった。

 9年間の車の走行距離は約40万キロ。依頼は昨年から徐々に減り「ここでの役割は終えたような気がしている」と寂しさも感じる。だが、現場の比重は変わっても「今度は日常の中で家を建てたい」と大槌の事務所は閉じず、横浜との2拠点生活を続けていく。