連載企画「自営の心 和洋女子大の祖 堀越千代」 プロローグ
盛岡人 女子教育ひらく
ここに日本女子教育のあけぼのを映し出す一枚の写真がある。

明治時代の女子教育界を代表する学校長の面々。大妻女子大の大妻コタカ、共立女子大の鳩山春子、東京女子医科大の吉岡弥生、嘉悦(かえつ)大の嘉悦孝。そして、その中心には和洋女子大を創設した堀越千代(1859~1948年)。きゃしゃながらも、りんとした容姿はいかにも「明治の女性」だ。
堀越千代は盛岡市出身。1859(安政6)年、激動の幕末期に盛岡藩士の一男四女の末子として生まれた。決して裕福な家ではなかったが、利発な子で、幼少時から人一倍学ぶことが好きだった。「女子に学問は不要」と言われた時代。それでも学びに希望を抱き、明治維新後上京する。
東京では人生を変える出会いがあった。後に堀越学園の校祖となる夫堀越修一郎だ。仙台藩士の家に生まれた修一郎は藩校の恩師で一関ゆかりの漢学者大槻磐渓(ばんけい)を慕って上京。縁あって千代と結ばれた。戊辰戦争で賊軍とされた士族の血を持つ2人。盛岡、仙台と生まれは違っても、その反骨心は通じるものがあったのだろう。修一郎の理解と支えは千代が羽ばたくうえで大きな力となる。
(連載企画「自営の心 和洋女子大の祖 堀越千代」は、土曜日に紙面掲載します)
連載企画「自営の心 和洋女子大の祖 堀越千代」が1月9日付からスタートしました。明治期に和洋女子大(千葉県市川市)を創設し、女子教育の礎を築いた盛岡市出身の堀越千代(1859~1948年)の功績を顕彰します。紙面を購入し、ご覧ください。読者の皆さまには堀越千代に関する情報提供をお願いします。