2021.01.12

被災地を歩く⑥ 釜石市唐丹町

【2011年3月15日】 震災直後の小白浜地区。津波は高さ12.5メートルの防潮堤をなぎ倒し、多くの家屋を破壊した
【2011年3月15日】 地域総出で中心街のがれきを撤去する小白浜地区の住民
【2011年12月22日】 がれき撤去が終了した小白浜地区。漁港では岸壁のかさ上げ工事が始まっていた
【2019年2月27日】 従来より2メートル高い14.5メートルで整備が進む防潮堤
【2021年1月7日】 完成した防潮堤。手前の住宅地だった場所は漁具置き場などの整備工事が進む
【写真=2011年3月15日、11年3月15日、11年12月22日、19年2月27日、21年1月7日】

変わらぬ住民の団結力

 2010年2月28日。前日に南米チリで発生した大地震に伴い、本県に大津波警報が発令され、勤務先の遠野支局から釜石市唐丹(とうに)町の小白浜漁港に向かった。午後3時すぎに潮位がじわじわと上昇。波が岸壁を越えて納屋に迫る様子を撮影し、翌日朝刊に掲載した。

 同市では最大波50センチを観測。生まれて初めて見る津波だった。その1年後、写真を撮影した高さ12・5メートルの防潮堤をのみ込むような大津波が来るとは思ってもみなかった。

 震災後に初めて現地に入ったのは11年3月15日。地区の津波防災の象徴だった防潮堤はブロックごと集落側に倒れ、規則性を失って転がり、中心街では住民が総出で自主的にがれきの除去に励んでいた。

住民総出でがれき撤去に励んだ中心街で「10年はあっという間だったなぁ」と語らう山田純一さん(右)と大向正則さん=釜石市唐丹町

 あれから9年10カ月。防潮堤は2メートル高い14・5メートルで20年3月に再建され、地域はすっかり平時の営みを取り戻しているように見える。かつて堤防脇にあった「浪(なみ)を砕き 郷(さと)を護(まも)る」と力強い言葉が刻まれた石碑は姿を消していた。

 8日午前4時すぎ、台風並みの低気圧通過に伴う暴風雪警報が解除されて間もなく、小白浜漁港から唐丹町漁協(木村嘉人組合長)の定置網船が約6キロ沖合の漁場に出港した。網起こしは順調に進んだが、水揚げはイカ、サバなど約400キロにとどまった。

 「もうちょっと取れっかと思ったけど」。今季から大謀を務める小沢秀基さん(58)は苦笑いしながら、「震災直後はまたこういう漁ができるとは思えなかった。記憶はあまりない。必死だったから」と歩みを振り返った。

 漁港に近い片岸地区の自宅を津波で流され、17年11月に再建した小沢さん。今季は例年より2カ月ほど早い昨年5月から漁を開始した。ブリ、ワラサ、ショッコなどの水揚げが伸びた。「できることをやっていくしかないね」と故郷の海に望みをつなぐ。

 ただ、現状は厳しさを増す。今季の秋サケの水揚げは約4800匹と2年前の約2割にとどまる。組合員は震災前の約7割の296人に減少し、60歳以上が8割弱と高齢化が進む。

 唐丹町漁協は今後、ウニの陸上養殖などを検討し、5月には最新の定置網船(19トン)も投入。木村組合長(66)は「厳しい状況だが、新たな取り組みで立ち向かいたい」と次の一手を練る。

 震災の4日後、11年3月15日から話を聞いている山田純一さん(69)が営む「理容山田」を訪ねると「おう、元気そうだな」と変わらぬ笑顔が返ってきてほっとした。

 山田さんは震災直後、住民総出でがれき撤去していた中心街を見つめ「もう10年か。あっという間だったな。ただ、人付き合いも昔から変わらないな」と話すと、当時一緒に作業した大向正則さん(72)も「んだな。団結力は相変わらずだ」とうなずいた。

 髪を切ってもらうのは何度目だろうか。ほぼ1年ぶりに聞く「シャキ、シャキ」という軽快なはさみの音で、山田さんが被災直後に無料カットで地域住民を元気づけていたことを思い出した。

 東京大大学院で学び、復興支援活動を機に唐丹町に残った市唐丹地区生活応援センターの山口政義主任(39)は「一番の魅力は人」と語る。私も10年前からの取材で一番感じたのは人の温かさと地域住民の結びつきの強さ。この無形の資産をいかに次へつなげていくかが最大の課題だ。

 (久慈支局・及川純一)

【2011年3月15日】 震災直後の小白浜地区。津波は高さ12.5メートルの防潮堤をなぎ倒し、多くの家屋を破壊した
【2021年1月7日】 完成した防潮堤。手前の住宅地だった場所は漁具置き場などの整備工事が進む
【写真=2011年3月15日、21年1月7日】
 

 釜石市唐丹町小白浜地区の復興状況 住家224戸中82戸が全壊し、大規模半壊・半壊が47戸。津波で4人が犠牲になった。基幹産業は漁業で20年12月末現在の人口は218世帯442人。震災前(11年1月末)は225世帯550人で、世帯数はほぼ横ばいだが、人口は約20%減少した。中心部には15年に3階建ての復興公営住宅(27戸)が建設され、1階には市の唐丹地区生活応援センターが入った。長屋形式の復興住宅3戸も整備され、17年には被災した唐丹小と唐丹中の新校舎が再建された。津波で破壊された防潮堤は高さ14・5メートルで20年3月に完成し、ハード面の復興事業はほぼ終了。三陸道開通で交通アクセスが飛躍的に改善した。