▽台風19号により通学・通勤路で土砂災害が発生しました。現在災害場所は土のうが積まれ、復旧が進んでおりません。そのような中、通学・通勤することは、非常に危険であり、早く復旧を進めてほしいと思います。今後、たびたび災害が発生することがあれば、安全な地域に移転すべきだと思います。

▽震災から10年になろうとする今、風化を防ぐための縦横の体系的(カリキュラム等)な考え方や取り組みの見直しが必要かと思います。また、内陸と沿岸の温度差は同じ県内でも驚くほどの違いがあります。これから県全体として取り組むときの課題にならなければいいのですが。

▽昨年度まで大槌町に勤務していたこともあり内陸と沿岸では防災・復興教育への温度差は大きいと実感しました。しかし、風化させてはいけない大切な内容と思いますので、この地に勤務しながら次世代を担う子どもたちに、その内容をしっかりと伝承していきたい。

▽震災を沿岸で経験した教員が転勤などにより学校を離れ、当時どのような対応をしたのか、地域との連携はどうだったのか、書類には伝えきれない大事なことの引き継ぎができていない。震災当時、別の沿岸部の学校で勤務していたので、そのことはよく分かるが現在の学校でのことは分からないし、転勤してきた時は話せる状態ではなかったため、引き継ぎの難しさも理解している。

▽成果物を求められるとつらい。子どもたちの心の中に、思いが募り、結果的に命を守る行動を習得することができればいいのではないでしょうか。

▽防災・復興教育はあるべきことと思いますが、震災を経験した者として「忘れる自由」もあるべきとも思います。生徒には「あの時はお互い大変だったね」というレベルの話にとどめることが多いです。学校安全について思うことはいろいろありますが、以前顧問をしていた登山競技で痛ましい事故が起きた(栃木県)のが忘れられません。本県でも起こりうる事故だと思いました。そのほかにも部活動絡みで生徒が命を落とす事故・事件のニュースが後を絶たずシステムとして限界(あるいはもともとシステムがない)なのではないかと思います。

▽それぞれ必要な指導場面などについて意図的・計画的・継続的に取り組むことが大切と思われる。

▽3・11の発生時の状況が教職員それぞれで違うので、思いを同じにして復興教育に取り組んでいくことの難しさは年数が経過していく中で、感じることではある。しかしながら、その地域ごとに学校で果たす役割はやがて「ふるさとの復興を担う」人を育てる、という観点から大きいと感じる。

▽万が一の災害への対応、危機管理。校内での研修の必要性を強く感じる。

▽児童に教える以前に、その事実となぜ復興教育が必要なのかというそもそものことについて、教職員みんなで共通理解することが早急に求められている状況である。被災体験、その後の対応、学校再開・再建までの道のり、学んだ教訓、現在も地域が抱える課題について、県の教職員で定期的に確認していきたい。

▽震災時、被災に遭った学校に勤務していたので正直、昨年ぐらいまでは自分の体験したことについては授業などでも話したくはなかった。しかし今年度に入り、話す機会があったので話したが冷静に話すことができた。正直、今までは被災体験を雄弁に語る人(教師にかかわらず)を見ると嫌悪感があった。

▽大切だと思うが実施にかかわり教員・生徒(本来の授業時数確保の面、事後報告など)での負担が大きい。日常の教育活動が本務であると考えるので防災・復興教育にかかわる事業を現行より増やすことは現実的ではないと考えます。

▽防災・復興教育(学校安全含む)はどの科目で行うか、どの程度まで行うかなど学校単位で実施するのではなく、県レベルで統一した決まりがあった方がいいと思います。学校単位だと実施する回数、科目、レベルで違いが出てしまうと思います。また学校の中だけではなく、家庭において家族がどれぐらいの認識でいるのかも非常に重要だと思います。震災発生時、家にいたときは親または祖父母の判断で逃げる、逃げないの判断をします。その方たちへの意識改革も重要と思います。

▽現在の勤務校は立地条件が悪い。特に国道から学校までの市道は崖に面しており雨のたびに土砂災害が起こったり危険が増したりする。道路自体も穴がいくつも開いていて、とても通学路とは思えない状況が続いている。学校として関係機関に働きかけているものの現状が続きしかも悪くなっている。穴、倒木、落石多数。学校が努力してできることには限界がある。学校の安全を考えたとき、たとえ児童生徒の人数が少なくても、そのことへの担保は速やかに行いたいし、行ってほしい。学校の設置者や関係機関に心からお願いしたい。

▽復興教育は本県の教育の根幹をなすものと捉えています。復興教育は単なる防災教育ではなく岩手の未来を築く人づくりの教育でもあることから本校では教育課程のあらゆる場面で復興教育を基盤とした教育活動を展開することとしています。奇をてらった活動ではなく地に足のついた教育活動を地道に行っていくなかで、いわての復興教育のめざす「いきる」「かかわる」「そなえる」の三つの教育価値が子どもたちに根付くよう努力していきたいと思います。

▽震災当時の記憶が薄れていく中で、児童に伝えるべきことも伝えきれなくなっていくのではという不安があります。

▽学校施設設備について。在籍人数などに応じた施設の整備。特別教室の確保、車椅子・バギーなどを使用する児童生徒が安全に活動できるスペースの確保。通学路の安全確保。災害時、安全な避難路・避難場所が確保されがたい。介助看護が必要な児童生徒の対応について学校および地域で確認することが必要だと考えるが対応については圏域のみならず広域連携が必要であると考える。

▽市町村役場、市役所、学校などの公共施設が予算面だけ考えて立地条件の悪い所に建設して被災している場面を見ている。県立山田病院、宮古工業高校、大槌病院、宮古市役所。想定外だというかもしれないが無駄な費用より将来の災害を想定したものを考えることが、これからは大切だと思う。

▽各学校で防災・復興の班やチーム、研究サークルなどの生徒が活動できる場面を確立しなければ、身近なこととして捉えられないと考える。県が、学校に求めるのであれば「○○を取り組みなさい」ではなく、初めのレールは整えるべきであり、ゴールまでを見据えた方で市町村と学校が連携できるよう、何かをしなければならないのではないか。宮古地区で台風被害があったとき同じ宮古地区でボランティアに参加する人数が集まらなかったのも防災・復興教育が進んでいないことを意味するのではないか。

▽○○マニュアルなどは作成負担が強すぎて、その割に実際、使い物にならない。その時の判断や適応力を身に付けるべき。復興教育といっているが、本校は校舎制となり、部活などで行き来が増え、多くの危険が予測される。被災地に投資する気が県にない。

▽大震災、台風10、台風19を経験してみて、水門や防潮堤は被害を拡大させている。あまり、意味がない。

▽震災のみならず大雨による災害なども発生することが多いため防災に関して自分たち教職員が意識を高め、子どもたちとも一緒に考える必要があるのだなと思います。山田にいるので復興に関しても、山田の子どもたちと共に、3・11のことを学んでいきたいと思います。配慮もしながら。

▽常に安全に対する危機感をもって指導をしなくてはいけないと思っています。しかし、日常は危機に対する構えが甘いと反省しています。

▽「復興教育」というとイコール震災という感じがする。今は海が見えない地域で被害もほとんどなかったため、自分のこと、自分の町のことをして捉えるのが難しい。車で5分も走れば沿岸に出ること、職場も町に多いことから自分のこととして考えさせていきたい。まだ10年もたっていないが、震災を知らない子どもたちを見ていると「風化」という言葉も実感する。最近は気候も異常でさまざまな災害が起こっており、自分たちの地域も決して安心だとは言えないと思う。関わるかも含め、自分たちのこととして考えさせていきたい。

▽防災教育の先進地(例・兵庫県)に行っての交流活動も必要。災害になったとき、教職員の通勤時間・距離とも長くなる傾向にあり、実際の対応が難しくなるのではないか。

▽被災された方々を尊重した取り組みを今後もよろしくお願いいたします。

▽話すタイミングがあまりない。

▽復興教育について県の事業もあり、ありがたく活用させていただいています。岩手日報などの防災や復興関連の記事も震災の記憶と教訓を次世代へ伝えるためには、ありがたいことだと思っています。

▽「いわての復興教育」とは何ですか?質問事項に内容を記してください。

▽沿岸の高校として、震災に関する副読本やアンケートなどを実施する際、実施のみになっており実施後の心のケアなどが考えられていないなあ、と思うことが多々あります。年月はたっても子ども・親の心に寄り添った実施内容を検討してほしいです。

▽最近の気象によって、どんな災害が起きてもおかしくない時代なのだと思います。学校管理下で起こりうることに対しては危機管理が大切なのだと思います。このアンケートの(6)で、対応できないことがないようにしていきたいと思いました。

▽本校の場合は修学旅行で宮城県に行き、津波被害の様子をボランティアの方に教えていただくプログラムを毎年、取り入れています。自然災害があったとき、自分がどう行動したらよいか、自分の命は自分で守る意識を高めていきたいと思っています。

▽危機管理について年度初めに確認し、組織的に取り組んでいくことが大切だと思う。また、日ごろから子ども自身が自分の身を自分で守れるような指導が必要だと思う。

▽震災だけでなく老朽化建物、地盤のズレなど問題が多い。生徒の人数も年々少なくなり、クラブ活動もできない。他校からは合同練習は断られるなど問題多数あり宮古エリアも統合し新築の建物で人数も集めクラブ活動も皆ができる安全な学校、総合高校が宮古にも必要だと思う。

▽教えるべきことが多すぎて防災教育・復興教育・学校安全への配慮が十分できていない。地域事情や実態を踏まえた対応をとれるようにするための準備時間、実施時間がなく、防災教育・復興教育・学校安全への優先順位が上がらない。とてももどかしい。要職の方が十分準備していただくことで初めて取り組める印象がある。

▽道路や公共施設の建設は生活水準の向上につながると思うので、取り組みを急いでほしい。教育としては地域の産業や伝統に、いま一度目を向け各自がよく理解を深めること。そして、それを県内外や海外に向けどのように発信していくのかを子どもたちとともに研究する必要がある。学校は、そのような取り組みができるように適切な場所に適切な規模で存在することが望ましい。

▽津波が発生したら海より遠くではなく高い所へ、という意識を育てたい。時間に十分なほどの余裕がない場合は、特にその心構えが必要だと感じる。

▽本校では今回の復興教育推進事業によって復興教育の形はできたと思っています。ただ今後、大船渡中学校との統合も予定されているので、もう一度つくりなおす必要性があります。県内の実践校で、どんなことをしているのかを広く情報発信していただくと他校の実践から学ぶことができると思うので定期的に情報公開があるとうれしいです。

▽少子化により生徒数が減り教員数も減っていくことが予想される中で災害時における対応をより学校全体で見直す機会を多くすることや生徒への防災・復興教育の充実を図っていくことが大切だと日々感じています。自分自身の担当教科が家庭科なので各分野で防災・復興教育を取り入れるようにしています。勉強不足のため授業でのアイデアが浮かばないときもあります。より具体的な実践例の資料があればいいな、と思うことがあります。

▽本年度、危機管理マニュアルの見直しをはじめ、学校安全に対する研修を導入。生活、交通、災害すべての場面においての安全について教職員全員で取り組んだ。安心安全でなければならない学校現場の環境づくりに力を入れたい。

▽今後も子どもたちに伝えていかなければならないことである。大人も何かが起こって、何もできなかったではなく、行動できるようにしていかなければならない。

▽教科横断的に防災・復興教育に取り組めるような教育カリキュラムを作ってもらいたい。

▽実際に近い形での訓練が必要だと思う。いざとなったときに、いかに動けるか、いかに動けなくなってしまうかを子どもたちに伝えたい。どんなシチュエーションをつくるかが悩みどころですが。もちろん、どんな震災があったのか、どんな経験を岩手県がしたのかを知らせる機会は必須だと思う。

▽災害について語り継いでいくことは大切である。東日本大震災が発生した時には、まだ生まれていなかった子ども、幼くて記憶にない子どもが増えており、震災を身近なこととして捉えられなくなってきている。震災について学ぶと同時に、復興のために尽力した人々の思いや願いから、自分も他人もともに幸せになるために考えていける人になれるよう学習していけるとよい。

▽「津波てんでんこ」という言葉は東日本大震災後に知った。自身が内陸出身であるためか小学校から高校の期間を他県で過ごしたためかもしれないが沿岸部に8年間勤務していた間にも耳にしたことはなかった。この言葉が普段から目にする所(1カ所ではなくバス停、電柱など至る所)に掲示されていれば他地域からの旅行者なども含め犠牲者が少しでも減ったのではないかと悔やまれる。

▽学校の立地や通学路の安全整備は学校の努力だけでは限界があると感じている。国、県、市町村といった縦割りの枠組みに縛られるのではなく横の連携をスムーズにして、子どもたちのことを最優先にして考えてほしいと思う。例えば、学校は県立、通学路は市道、国道など。

▽「いわて震災津波アーカイブ」は、とても分かりやすく復興教育を授業で行う際、助かりました

▽宮城の震災遺構・伝承館は津波被害を受けた気仙沼向洋高の旧校舎で昨年8月の見学時に非常に衝撃を受けた。ビデオで見た地元中学卒業式の代表男子生徒あいさつは感動的で涙を流した。約30年前の宮古水産高在職時の教え子が震災当時、気仙沼向洋高に勤めていました。重茂出身・昆洋一先生です。健在です。伝承館が気仙向洋高の旧校舎とは知らす驚きを隠せないものでした。岩手にも震災遺構は田老観光ホテルなどあるようですが、宮城の伝承館レベルものを造ってほしいと思います。県内全中高生が必ず見学する施設建設をしてほしい。

▽忘れないこと、常に自分のこととして考え行動する意識を持つよう、持たせる指導の必要性を感じます。

▽最近は大雨、洪水、土砂災害の起きる回数が、増えてきたように感じる。学校に児童がいるときには比較的、安全確保・安否確認がしやすいと思うが、在宅時に各家庭と連絡を取り合うことが、うまくいくかどうか不安。各家庭の被害状況も地域によって一様ではないと予想されるので被災後の対応についてもシミュレーションし職員の共通理解を図り、行政や地域との連携をイメージして訓練することも必要。職員自身も被災者になり得るので。私自身、水害時に1週間休み自宅の片付けなどをした。学校生活に対応できるボランティアや支援体制があれば心強い。

▽心のサポート(心と体の健康観察や心の授業、SCとの連絡調整など)を担当しているが、正直つらい面もある。東日本大震災から月日はたっているが台風19号の爪痕、震災の写真・映像など大丈夫と思っていても、ちょっとしたことがきっかけでフラッシュバックしてしまう。職務上、担当になることが多いのでつらい。月日がたつほど、ひどくなっているように感じる。子どもたちにとっては防災・復興教育はとても大切だし必要なことだと思う。もちろん心のサポートも。

▽小・中学校で行われた復興教育を高校でも引き継ぎさらに、発展させていかなければならない。高校生は自分で考え実践的な行動力をつける必要がある。高校は小・中学校に比べ、少し後れをとっているように思う。受験や進路に向けた指導もあり、なかなか時間を割けないのだ現状だ。そういった中で、どのようにして実践力を身に付けさせるのかが課題だと思う。

▽被災した生徒や保護者についての理解を深めないと、より良い教育の支援を行うことができないなと日々感じる。触れることなく、一般的な対応をした方がいいのか、配慮として多くの心配りを相手に見えるように行うべきか迷いの中で指導に当たる毎日を過ごしてしまっている。

▽防災・復興教育を推進する上で児童が身近なこととして感じることが大事。人ごとでなく自分ごととして。今年度、震災学習列車活用スクール指定を受け事業に取り組んだ。三鉄に乗る前の事前学習として三鉄で勤務している保護者と震災当時お産を控えていた保護者をゲストティーチャーに招き身近な人が実際に関わった体験を伝えてもらった。震災学習列車事業も継続していくことが大事。被災地学習後、さらに自分ごととして捉えるため地域防災マップ作りまで発展させた。被災地を知って改めて自分たちが生活する場所を見つめ直すことも有効な手立てだ。

▽震災時内陸の中学校にいて震災3年後に沿岸被災地に転勤。そこで初めて知ったこと学んだことがたくさん。当初防災、復興教育の名のもと津波で大切な家や家族やふるさとのまちを失った子どもたちに津波を知らない私が震災の教訓を伝える使命があるなど言って活動させることに苦しさと葛藤があった。活動の中で被災地の子どもや学校にしかできないこともあると感じた。防災教育は命を守るためだけのものではないということは絶対に忘れないでいよう。

▽たくさんの尊い人命を奪い多大な被害をもたらした震災。生きたくても生きられなかった人々からの教訓として地震が起きたら津波が来る、高台避難、ハザードマップを信用しすぎないなどを学んだはずなのに、被災地が整備され建物が建ちはじめ年月とともに、あの記憶が忘れられ防災意識が薄れてきている。学校の子どもたちが震災後に生まれた学年になっているからこそ伝えていかなければならない、教えてゆかなければならないことがある。親であったり、地域の人であったり大人が伝えていかなければならない。生かされた者の使命なのだと思う。

▽現状、通勤通学している道路が破損されたままの所もあり毎日の通勤にストレスを感じています。スクールバスの運転も凸凹を避けながら大変だそうです。保護者の方からも毎日の送迎が大変、以前もだったが前よりも大変だとの、お話もあります。

▽大災害の記憶は風化させてはいけないと思うので、語り継いでいきたい。

▽(6)は深刻さは、すべて深刻です。しかし、経験上、深刻になる確率として理科では大事故は起きにくい(小では)という意味です。

▽震災については若い先生方に学ぶ機会があった方がいいと思います。

▽岩手県人にとって「3・11」は絶対に忘れてはいけないことであり、復興教育の重要性と、自分たちがあの教訓から学んだことを、いつ起こるか分からない災害などに「備える」態度を育てていかなければならないと心から思う。温暖化などで地球規模で大きな災害が起こる可能性が高くなっていると考えると危機管理は本当に重要なキーワードであると感じます。

▽各校種において熱心に防災・復興教育が行われていると思います。

▽想定の範囲をいろんな意味で広げるべき。考え得ることを超える事態が多々ある。

▽防災の歴史、地震・津波の発生のメカニズム、発生時の対応、減災について、常に考え、伝えていくことが必要と思う。

▽これから、どんどん大切になってくると思います。

▽今回、安全マップ作りを行ってみて、実際に歩いてみないと危険な箇所に気づけなかったり、複数で見てみて、他からの意見で分かることがあったりと非常に勉強になることが多かったです。防災教育も復興教育もしっかり教えていかなければならないなと思いました。

今教えている子どもたちは震災が起きた年、あるいは震災が起きてから生まれた子どもたちで震災発生の時の記憶がありません。ゆえに「どんな事があったのか」「どのように復興が進められてきたのか」を教えていく必要があると思っています。そのため体験談が載っている教材は、とても有用性があると思います。今後も編さんしていってほしいです。自分自身、津波で家族を失っています。その時の体験や気持ち、見た光景は後世に伝えていきたいです。

▽今年度、文科省委託「学校安全総合支援事業」「復興スクール(内陸)」の推進校の指定を受け、さまざまな活動に取り組んだ。活動の中で防災アドバイザーの先生(県立大学)、地域、関係機関、中部教育事務所、県教委、中学校などと連携したことで効果的に学習を進めることができた。今後も継続できる体制を整えるとともにカリキュラムにも位置づけていきたい。

▽3・11震災の復興教育として本校では11日を月命日にして給食時間に職員が命の大切さについて放送しています。震災を知らない子どもたちに、どのように伝えていくべきか正直、私自身難しいと感じています。震災に、こだわらず命の大切さを伝える教育は、とても大切ですが、11日にやる意味、起きたことの重さを考え過ごす日々です。

▽記憶を風化させないよう、常に新しい取り組みを行う。人的、経済的な支援をお願いしたい。

▽被災した経験とどう向き合い、それをどう生徒に伝えるか。どこまで伝えるか、どう学ばせるか。伝えるか、伝えないか。自問自答しながら教育活動や学校安全に取り組んでいます。「危機感の共有」(ちょうどいいところの模索)に難しさを感じています。

▽いわての復興教育の副読本は高校でも必要なのかなと思います。

▽大震災時は沿岸の学校に勤務していましたが、内陸の教職員との間には防災に対する考え方がずいぶん違うと感じます。

▽多くの方が当事者意識を持って取り組んでいくことができたらいいなと考えております。とても大切なことなのに、進路や日々の学習のことばかりに気を取られて、なおざりになっていないか心配な時もあります。

▽現在の宮古恵風支援学校の立地場所が大変非常に危険。学校と国道を結ぶ2ルート(市道)の1つは2019年の台風19号以降不通。1つは土砂崩れ後の土砂を取り除いた状態で道路のあちこちに穴は開いている、落石防止のネットは落石をたっぷりためてる。道路から国道への合流箇所はトンネルの出入り口に当たり、非常に危険(トンネル内を無灯火で高速で走る車が多くカーブのため視認が難しい)。よくもこんな所に「わかたけ学園」「はまゆり学園」「特別支援学校」と障害のある方を追いやったな、と思う。この状況で「学校安全」を説くのは茶番だ。

▽想定外を減らすための工夫の余地がまだあると思う。津波防災を例にとれば、東日本大震災を教える時には明治の弱震大津波のことも教えるべきだと思う。「いわての復興教育」を一般的な復興教育と読みかえて回答した。

▽昨年10月の台風で通学路が土砂崩れが起こり6日間の休校になった。学校が再開されても3カ所のり面が崩れたまま、道路は舗装されていないままです。今では土のうが積み上げられているだけで雨が降ると山からの水が流れいつ崩れてもおかしくない通学路を通って子どもたちに登校してもらうのは不安です。私たち職員も同様です。学習環境としても町から遠く買い物学習や地域との交流ができない状況で子どもたちの経験する機会が少ない。以上のことを踏まえて安心安全な学校、学びの力を地域の中で伸ばしていくためにも学校移転を強く望みます。

▽宮古恵風支援学校は国道から外れ、台風19号で土砂崩れが起き、しばらく学校閉鎖になりました。学校が安心できる場所に移転できれば、かなり減災できると思います。

▽大事なことだと認識してはいるが、日々の業務に忙殺されじっくりと考えることができずにいる。新聞を読む時間さえ持てないのは異常事態だ。業務のスクラップアンドビルドを進め、防災マニュアルの整理に着手したい。と思いながら、1年が過ぎてしまった。

▽2019年の台風19号では国道45号の崎山第3トンネルが崩壊。学校に向かう国道45号から脇に入った市道が土砂崩れで通行止めになり6日間休校しました。校舎の被害はありませんでしたが道路が被害に遭いました。今まで特に被害がなかったので、あまり考えませんでしたが冷静に考えると学校の場所は崖下だし、学校までの道のとても危険です。なぜここに学校を造ったのか、不思議です。でも危険な場所であることが実際に分かったのだから、一日も早く安全な場所で児童・生徒たちに教育を受けさせたい。激しい雨が降るたびに不安でいっぱいです。

▽通学路の安全が確保されていない。

▽本校の防災・復興教育の取り組みが希薄に感じております。学校の防災・復興教育を教職員一丸となって取り組む意識付けが必要と思われます。

▽必要であり、小・中・高と年齢に応じて取り組む。

特に内陸の高校は人ごと化しており、教員間の温度差も大きい。毎年行われる避難訓練の見直し校内の備蓄の確保などできることからやればいいと思うが、新しいことは取り組まない傾向があると思う。防災教育の研修も副校長や主任だけでなく全ての教員が演習も含めて受講すべき。また避難訓練は消防署との連携が必要だが、消防署ともっと連携を密にし、より実践的な訓練を実施すべき。消防の意識改革も必要かと。担当者によって違いがありすぎる。

▽生徒一人一人が災害時に自立的に対応できるような能力を身に付ける、少ない。LHR、総合的な探究で3、4時間ぐらいは必要であろうが時間が取りにくいのが現状である。何かあった時に、他人に頼ることもあるだろうが、できれば自分で何とかするすべを身に付けさせたい。

▽災害や事故などが発生することも常に想定していますが実際に発生した際には、どれも深刻なものと受け止めています。ただ、担任等がいつも持ち続けることは業務内容が多いことから難しく、そのために管理職のリーダーシップや危機管理が重要だと考えています。また、いじめも含めた児童・生徒の安全を確保しようとするとき、働き方改革と逆行するところもあります。職員の意識改革等に期待するのには限界があり、人手を増やしてほしいというのが正直な願いです。

▽危機管理のための必要な理解、認識、能力、協調性を高めるための具体的な取り組みをしている学校が今の地区ではほとんどない。

▽学校が地域の自治会や関係機関と連携して防災・復興教育を行い、その成果を積極的に地域に発信することで、地域の方々の防災意識を高め、ひいては地域の防災力を上げることができます。そういう意味でも、学校の防災・復興教育は大変重要だと思っています。

当時、被災地に勤務しておりましたが、ほとんど当時の記憶がありません。思い出したくないのかもしれません。

▽このアンケートですが管理職か教諭かでも異なると思うし、事務職員は復興教育に直接携わらないので、それを全部教職員の意識としてまとめるのは乱暴だと思います。

▽「こころとかただの健康観察」は震災を経験していない児童には必要ないと思います。設問の説明が難しいと感じます。

▽「質の高い学校安全の取り組みが行われる」。このようなことが蓄積され教員の多忙化はなかなか改善されていかない。貴殿の取り組みや考え方を否定するものではないが現在の学校の状況はこれ以上の「○○教育」を受け入れる余力がなくなっているのが現実です。もし、より一層の何かをしようとするならば学校の力を借りずに貴殿で実施いただきたい。

震災を知らない子どもが増えてきており、防災・復興教育の重要性を感じている。震災当時、私は内陸部にいたため現在、勤務している沿岸の当時の様子は分からないが生徒と一緒に学び防災・復興の在り方を共に考えていきたいと思う。

▽昨年に発災した台風19号により本校は通学路が危険にさらされています。学校として可能な限りの安全対策、緊急対応策は検討してはいるものの依然として危険なことには変わりありません。ぜひこの状況を多くの県民の皆さまに知っていただきたいですし、岩手県としてもこのような学習状況に置かれている学校への対応を考えていただきたいです。本校には医療的なケアを受けている生徒もおり心配な毎日です。絶対、安全という場所がないことも理解できますが、本校の立地はあまりにひどいと思います。

▽教師も地域も子どもたちも行政の方々も、お互い一人の人間として学び、協力し支え合っていこうとする意識が必要だと感じています。

▽恩をつなぐ教育をことあるごとに話す必要が感じられる。

▽現場は防災・復興教育に全職員が向き合う時間の余裕がない。大切なことだとは分かっているが、積み上がるばかりの業務の一つとなってしまっている。

▽1年に最低一度は3・11を振り返り、故人を思い未来へつないでいく機会を設け続けてほしい。

▽震災の経験も記憶もない児童が大半を占めるようになった今、その伝承の必要性を強く感じる。震災全容だけでなく自分の地域でどんなことが起き、それを住民たちは、また先輩児童たちはどうやって乗り越えたのかを知ることは災害への恐れだけではなく立ち向かう勇気やすべを、そして郷土愛を育むことにつながると思う。実際に被災した地域もそろそろ目を向けてよい。

▽本校は土砂災害が起こった際、孤立する(学校へ行く迂回路もない)可能性がある。狭い市道を通って行くが、大型トラックも通行しガードレールはあるものの片面は崖。安全な学校を考えたとき校舎は無事でも通学路が安心して通行できないと意味がない。天気予報の雨マークや雨天時には崩れていないか不安になるし、いつ崩れるか分からない市道を通って行くのは不安。令和元年台風19号の際には通学路の寸断により大幅に学校再開が遅れた。このように非常に危険な場所に立地していることを広く知っていただきたいし早急な改善を求めていくことも必要。

▽学校だけではなく、地域や家庭、関係機関との連携が大事だとより感じることが多くなりました。

▽安全・安心な教育環境の整備を考えてほしい。

▽文書に書いてある通り、教育現場での教職員の若年化がすすみ、伝えることが難しくなっていくものと思われる。職員に伝えていくことが重要になってきている。

▽推進校に指定されていた事実を知らない。どの部分が復興教育か分からない。災害への備えや復興に向けての各種取り組みや教育は岩手を含む全国の被災地域で行われていることであり、ことに銘打ってまでやることとは思わない。やるのが当然。質問について「起こりうることと強く認識していること」(危機意識)は絶対に必要であるがトラブルはいつでも想定を超えてくると考えるべきでマニュアルを作る過程で行われる「想定」には意味があるが実際の運用において、背景となるべき「基本指針」だけを全職員・生徒へ周知し後は臨機応変に対応すること。

▽教員の危機管理意識が低いと感じている。大雨や暴風警報が出ていても部活を優先させたり生徒を早く帰らせることを考えもしない現場であったり。外部コーチもまたしかり。インフルエンザ等への対応を見ていても同様に感じる。「万が一の事故」すら起こらないよう考えている人間がどれくらいいるのか疑問である。

▽陸前高田市出身で、自宅が津波に遭い父母は津波の中奇跡的に助かった。北上市内の小学校に勤務中だった。親類・知人・友人・恩師たくさん亡くしました。学習発表会の劇で自作シナリオで表現したこと、本校で「とわの日」放送で自分の体験を語ったことなどできることをやってきた。映画「風の電話」を見て子どもたちに伝えています。伝え続けていくこと、これが大切だ。陸前高田市にできた津波伝承館に行ってほしい。自分の目で見て耳で聞いて心で感じてほしい。相手の立場になって考えることのできる子どもたちに育ってほしい。命を守るために。

▽阪神大震災から25年。復興したとはいえ25年たったら老朽化している所もあると思います。家族・友人・同級生・地域の方々も分散して果たしてどのように立ち上がっていったのか本当に個々に差があることでしょう。当時、小学生だった娘は盛岡に来てから誰にも震災のことは話していません。話したところでどうなると思っている。転校した子どもたちの中にはそういう環境下にない話題にもしないような場所に行ったとしたら。話し掛けた相手は実は家族を亡くした方かもしれないとか思うと話題にしない方がいいと思うかもしれません。

▽内容が内容だけに何をするにも簡単にはすまないなと思ってます。各機関の方々大変お疲れさまです。

▽宮城県では県立校と津波被害の大きかった市町では3月11日を休業日とし、家庭などで「2011・3・11」を振り返る機会としています。課題も多いのでしょうが、岩手県や各市町村でも導入すればいいのに、と思っています。

▽震災から10年以上経過する2021年以降、風化の恐れがある。復興予算が削減されると地方自治体だけの取り組みで復旧・復興が果たして可能であろうか。

▽このような取り組みをしていただきありがとうございます。自分は内陸出身であり、震災時も内陸の学校でした。初めて沿岸の学校に勤務し少しではありますが地域の様子が分かりました。伝える大切さはよく分かります。一方で被災した生徒、親がいる中で迷うこともあります。それでも事実や各地域のことは年々、薄れていくので取り組みは大切だと思います。よろしくお願いします。

▽沿岸と内陸の温度差が大きいと思う。これを埋める努力をしないと格差はどんどん広がる懸念がある。

▽危機管理マニュアルを学校で作成し毎年、内容の検討を行っているが教員は防災のプロではないので、防災の素人たちがいくら検討しても正しい適切なものになっているのだろうかと不安になることもある。

▽児童が震災に関わる本を読み感想画を応募して全国で入賞した。その絵のレプリカを図書室に飾ってあるが、いいと思う。全校の児童が目にして震災を思い返す機会になる。

▽県内各地の学校を勤務し沿岸と内陸、または同じ沿岸でも北部と南部、住民、教職員、子どもたちのとらえる意識(防災意識、復興・復旧への意識)のギャップの大きさを実感している。これから先のことを考えると私たちは防災に対しての心構えや知識、技能、判断力などしっかり持つよう、さらなる教育の充実を目指していかなくてはならない。