花巻市上諏訪 高橋敬さん(81)

 75年前、細い道はあったが電気はなく、情報はあまり届かない町はずれに私の家があった。

 1945(昭和20)年9月、1年生になった私が学校から帰り、狭い土間の玄関でげたを脱ぎそろえていた手先に小さなマッチ箱ほどの白い箱が止まった。

 「こんなワゲのわがらネ-誰のものがもわがらネ-歯と○○で戦死したなんて信じられるが-」と、カン高い声と、今まで目にしたことのない険しい形相で仁王立ちしている祖母。傍らで握り拳をふるわせて涙をこらえて立っている母もいた。

 私はその場から逃げるように走り去った。縁側の戸袋の陰に私専用の机があった。りんご箱を横にし、中は道具入れ上の部分には包装紙を貼った自作の台だ。通学用の布製の手提げかばんを置き、ふすまのすき間から2人をのぞいた。

 「歯と○○」って何だろう?

 見たかったが近寄れなかった。

 2歳年上の姉は見た。「黒ずんだ歯が1本と、短く切った髪の毛が少し」だったと…。白い小箱で届いたのは父の戦死の証し。遺骨だったのだ。

 わけがわからない私は寺で前列に正座させられた。横にいた姉は大粒の涙を流して泣いている。周りの様子を見て、自分も泣かなければと作り泣きしたことを思い出す。

 父は私が入学する年の1月、深い雪をこぐようにして家を出、駅まで30分かかる道路では小旗を振る人々に見送られて出征した。

 伯父さん2人は出征したが、早い時期に無事に復員していた。父が出征して半年余りで終戦となり、やがて元気に帰って来ると信じていた矢先に届いた「歯と髪の毛」だけの告知は、祖母と母には大きなショックだったのだ。

 その後、7人家族の生活を守る母の苦労、小さい畑を耕す祖母の手伝いをする姉弟5人は我慢の日々。愚痴を言うこともできなかった。

 幼すぎた私の記憶の中で鮮明に残っているのは、白い箱が届いたあの日の祖母と母の姿である。