北上市北鬼柳 藤田友子さん(94)

 ある日突然。軍事郵便のはんこが押されたはがきが来ました。

 ○月○日 広島に昼すぎついて1泊して現地に向かいます。

 ただこれだけ。

 心が騒ぐ中、大急ぎで家宝の刀と用意した双眼鏡を持って広島に向かいました。

 だいたい「昼すぎ」を目当てに駅に行きました。当てもない時間が過ぎ、諦め半分で列車に乗り外を見ておりました。すると滑るように列車が入ってきました。みんな出口の方に目がいっている中、一人眼鏡を掛けた人(息子)がこちらを見ていました。

 視線が合い「ビック」としました。神技だったでしょうか…向こうもこちらをみて…ホームにおりたようでした。出口のところに立って、待っててくれました。

 当時、お米の切符がなければご飯が食べられない時代。即切符を出して旅館に行き、泊まるようにしてお膳をいただきました。お頭付きでした。

 お互い口数の少ない中、家福もちを半分にしていただきました。「元気でネ」とか「気をつけて」とか、ただそれだけ。駅まで送ってもらい、彼の後ろ姿が目について離れませんでした。

 あとは何も考えず帰途につきました。台湾の高雄からの便りが最後。あとはどこにいったものか?

 陸軍なのに30人ぐらいずつ小船に乗って、(船長として)コレヒドール1回。2回目に空から一撃で海のもくず。隊長以下、全滅だったので何も残ってないとの事!

 紙1枚で召され、また骨つぼの中、紙1枚「十九年九月二十一日」入ったきり。これで23歳の人生終わり。これが戦争です。

 息子健当時23歳、母カネ当時61歳

(母の故カネさんが戦後、姉の故幸子(こうこ)さんに語り、さらに幸子さんが友子さんに語り継いだ話を思い出しながら記した。一部抜粋)