2020.09.11

【第5部】あいまいを抱きしめて ⑤決断

生と死を問う裸の心

 東日本大震災で家族5人を失った、大槌町大町の会社役員三浦憲(あきら)さん(62)は、県警の捜査で身元不明だった遺骨の1柱が妻裕子(ゆうこ)さん=当時(52)=と断定され、遺骨の引き取りを決めた。震災から9年半。悩み苦しみ抜いた末の決断だった。

身元不明遺骨を安置する納骨堂。東日本大震災が起きた日時に陽光が入る=3月11日午後2時46分、大槌町小鎚

 「9年半たって妻が帰って来るとは思わなかった」と喜ぶが、思いは複雑だ。「引き取りに迷いはない。それでも百パーセントの確証は持てずにいる」

 県警から、同町の納骨堂にある身元不明遺骨の一つが裕子さんの遺骨と「ほぼ断定された」と連絡が入ったのは、昨年12月。あごの骨格や鼻筋などの特徴が一致し、けがした際に撮ったエックス線写真との照合や、可能性のある他の行方不明者を別人と確認する追跡捜査を経た結果だった。

 だが震災後の火災で遺体の損傷が激しく、DNA型鑑定は未実施。5月の取材時、確証が持てぬまま判断を保留していた三浦さんは「駄目でもいい。気持ちに整理をつけるためにも鑑定をしたい」と語り、鑑定を引き受けてくれる大学や研究機関を探していた。

 

 誕生日に納骨へ

 火災後、火葬もされた遺骨のDNA型鑑定は不可能とされ、全国の研究機関に断られ続けた。諦めかけたところで岩手医大が鑑定を承諾。結果を待っていたが、7月下旬に県警から、DNAが検出されず「鑑定不能」と知らされた。

 「やはりそうですか。ありがとうございます」。静かに受け止めた。

 DNA型鑑定が行えず「本当に妻なのか正直分からない」と打ち明ける。だがDNAが全てではない。県警の地道な捜査を信じる思いも強くなり、「万一違っていても、誰かが引き取らないとかわいそうだ」と、長男と相談して決断した。今月中に引き取り、10月22日の妻の誕生日に納骨するつもりだ。

 「妻も喜んでいるでしょう」。ただ、妻と母は見つかったが、2人の娘と孫は行方不明のまま。それでも「海に帰ったのかな」と思えるようになっていた。

 震災後精神を患い、一時は死の淵をさまよいながら、長男夫婦と3人の孫の誕生に支えられてきた。「孫がいたから生きられた。あの子たちの笑顔。命をつないだという思いが大きかったかもしれない」。刻み始めた新しい日常に、優しい笑みを浮かべた。

 

 全て大切な誰か

 震災で県内最多の417人が行方不明となった大槌町。同町城山の納骨堂にある身元不明遺骨の多くは、火災でDNA型鑑定が不可能な遺骨だ。三浦さんが1柱を引き取り、残りは63柱になる。同町吉里吉里の吉祥寺の高橋英悟住職は「この遺骨は全て、私たちの大切な誰かであるはず。いつまでもかわいそうな存在にしてはいけない」と語る。

 納骨堂は当初、町が別の場所へ建設する計画だったが、釜石仏教会の要望を受け、町中心部や海、川が見渡せ、震災時は避難場所だった現在地に設置された。

 明治、昭和、平成と度重なる津波で多くの犠牲者を出してきた三陸。高橋住職は「お骨は普段から私たちを見守り、有事の際には避難へと導いてくれる存在なんです」と説く。

 震災で肉親を失い、その面影を探し続ける人たちは、生と死を問い続ける人間の、裸の心そのもののようだ。曖昧さを抱きしめることは、生きることにほかならない。「見つけてくれて、ありがとう」。その時、隣には最愛の人がきっと寄り添っているだろう。

(第5部終わり)

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