紫波町南日詰 大沼 盛雄さん(85)

 1945(昭和20)年7月、日本在郷婦人会がこぞって各戸にある氏神様に戦勝祈願をした時のこと。敗戦濃厚の現況を切り開くため、子どもをおんぶした母たちが班をあげて夜間祈願をした。

 国民学校4年生の私も、母から「一緒に来て」と言われてついて行った。古い農家の屋敷には、その土地に定着した時の氏神様を祭り、子孫繁栄を祈願する神々があった。ほとんどは石で作った小さなお宮だが、中には本格的な神殿を作っている所もあった。

 午前0時に出発して、班内にある氏神様を5、6軒参拝して回る。

 突然、北上山地の上から閃光(せんこう)が光り、20秒ほどたって百雷が連続して落ちたような音が響いた。10人の婦人会員とその連れの一行はほとんど無言で立ち止まり、中には祈りをささげる人もいた。人々は心の中で、沿岸の釜石製鉄所が攻撃されたと分かっていた。閃光と地響きの中、なお戦勝を祈り続けた姿を思い出す。