2020.08.07

【第4部】震災と戦災 ⑤残された遺骨㊦

遠い小島に置き去り

インドネシア・パプア州のビアク島そばのアイブラボンディ島から送られてきた写真。強風や高波で小屋が吹き飛ばされ、遺骨が散乱してしまった=2020年1月(岩渕宣輝さん提供)

 遠くインドネシアの小島で力尽きた日本兵は、弔われることもなく、野ざらしのまま放置された。

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で、全面的にストップしている国の海外戦没者遺骨収集事業。本県出身者が多く眠るインドネシア・ビアク島周辺で収集を続けてきたNPO法人太平洋戦史館(奥州市衣川)の代表理事、岩渕宣輝(のぶてる)さん(78)は、現地の協力者から届いた写真を見てがくぜんとした。

 5年前の調査で発見した遺骨を仮安置していた小屋が、強風や高波で破壊されていた。日本政府の調整ミスなどで2015年10月の派遣を最後に中断していた活動が、今春再開される予定だっただけに、無念を隠せない。

 「地球温暖化による海面上昇で波が近くに迫っているという。このままでは全てが海の藻くずとなってしまう。早く再開して、日本に連れて帰りたい」

 

 父の名の板だけ

 警察官だった岩渕さんの父慶次さんは、ホーランジア(現インドネシア・パプア州ジャヤプラ)で戦死した。父の記憶はない。思い出すのは子どものとき、実家のある一関市で行われた合同慰霊祭だ。首に掛けた骨箱が「カラカラ」と鳴り、開けると父の名前を記した板切れだけが入っていた。

 父への思いが募り1967年に訪れた現地で、遺骨が至る所に転がっている現場にショックを受けた。以来、周辺地域への渡航は約300回、帰還に関わった遺骨は1万2千柱を超える。

 「現場を見てしまった自分には、それを伝える義務があると思っている。父から譲り受けたDNAなのかもしれない」。岩渕さんはこう思いをはせる。

 海外遺骨収集はもともと遺族からの強い要望で始まった。だが、日本が高度成長期を迎える中、各地に残る一部の遺骨を「象徴遺骨」として収集・送還することで、60~70年代に政府は「一応終了」とした。

 その後も岩渕さんら民間団体の協力でほそぼそと続いてきたが、ロシアなどで遺骨の「取り違え問題」が発覚。これまでの事業の在り方が根本から問われている最中に、コロナ禍に見舞われた。

 事業に詳しく政府の有識者会議のメンバーでもある帝京大の浜井和史准教授(日本現代史)は「この機会に、なぜ遺骨収集が必要なのか原点に立ち戻って考えるべきだ」と語る。

 東日本大震災が国民に突き付けた大量死の現実が、戦没者と重なるという浜井准教授は「今こそ死の意味を考え、一人一人がどのように亡くなったのかを丁寧に確認し直す必要があるのではないか。最後の一人まで政府は責任を持つべきだ」と主張。進化するDNA型鑑定を駆使し、遺骨を実際の遺族に引き渡すことの重要性も提起する。

 

 記憶の風化だけ

 〈屍(しかばね)を戦野に曝(さら)すは固(もと)より軍人の覚悟なり〉

 太平洋戦争中、軍部が示した「戦陣訓」は、戦場での心構えを兵士にこう説き、その家族にも覚悟を持たせた。そして、若者たちは「英霊」となって靖国神社に帰れると信じ、遺族も自らを納得させてきた。

 だが、野ざらしのまま放置された遺骨は、それがフィクションであったことを白日の下にさらしている。

 遺骨収集の再開見通しが立たないジリジリした状況に、岩渕さんは「本物の活動だけが生き残ることができる。望みと志は持ち続けたい」と言い聞かせる。そして最後にこう訴えた。

 「死者に思いをはせてほしい。形ある以上、その生涯はまだ終わっていない」

 隆起サンゴ礁でできたビアク島に残された遺骨は、今も土に返れずにいる。その陰で、記憶の風化だけが進んでいいはずはない。

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