2020.08.06

【第4部】震災と戦災 ④残された遺骨㊤

心穏やかな境地願い

 度重なる大津波と、太平洋戦争の艦砲射撃をくぐり抜けた釜石市中心部に位置する石応禅寺(せきおうぜんじ)。無縁仏を安置する無縁多宝塔(むえんたほうとう)には、日本の植民地時代、徴用工として動員された13人の朝鮮半島出身者らの遺骨がひっそりと納められている。

艦砲射撃の犠牲となった元徴用工を含め、寄る辺なき多くの死者の遺骨を納める無縁多宝塔=釜石市大只越町・石応禅寺

 「政治的な問題は別にし、ここでは日本人、外国人に関係なく皆平等。お釈迦(しゃか)様の御(み)弟子です」

 こう語る都築利昭住職(50)。戦後、引き取り手のない多くの遺骨が寺院に積み重なっているのを先々代の住職がふびんに思い、1965年に建立した。現在約850人の遺骨が合祀(ごうし)され、そのうち12人が朝鮮人、1人が中国人だ。

 戦時中、軍需産業の拠点として県内外から多数の労働者が流入した同市。外国人も多く、在日本大韓民国民団県地方本部によると、42(昭和17)年3月時点で498人の朝鮮半島出身者が製鉄所や鉱山などで働いていた。そのほか同市には288人の中国人、オランダや米英などの捕虜746人が収容されていた記録もある。

 独自に艦砲射撃の犠牲者を調査した同市の故中村幹二さんが作成した名簿には、朝鮮人31人、捕虜とみられる32人の外国人名がある。ただ「調査方法がない」(市地域福祉課)として市の調査対象から外され、実態は分かっていない。

 

 遺族と企業和解

 韓国最高裁が2018年、新日鉄住金(現日本製鉄)に元徴用工への賠償を命じたことに端を発し、戦後最悪ともされる日韓関係。日本政府は徴用工問題について、65年の日韓請求権協定で「解決済み」としているが、元徴用工遺族と企業が和解した、同問題では異例なケースがかつての釜石製鉄所であった。

 97年、艦砲射撃で亡くなった元徴用工の韓国人遺族らが、新日鉄に遺骨の返還や未払い賃金支払いなどを求めた裁判。新日鉄が現地調査や遺族への聞き取りを行うなど誠実に対応した結果、原告が訴えを取り下げて和解し、新日鉄が永代供養料などとして1人当たり200万円を支払った。

 当時、新日鉄の法務担当だった東京大の唐津恵一教授(企業法)は「法的責任を認めたわけではない」としながら「徴用工は戦災者でもある。雇用主として遺族に慰霊の気持ちを示したいとの経営判断だった」と明かす。

 現在の徴用工問題について、現段階での和解の難しさを指摘しながらも「日本の植民地政策で日本人として戦争に巻き込んだ歴史的事実を真摯(しんし)に受け止め、心を解きほぐすのが解決の大前提になるのではないか」と指摘する。

 

 争いのはざまで

 07年、新日鉄と和解した遺族6人が釜石市を訪問し、市民との交流会も開かれた。

 交流会の実行委員長を務めた元市郷土資料館館長の平田裕弥さん(83)は「深い悲しみをたたえた遺族の瞳を忘れられない」と語る。市内の長屋で厳しい生活を強いられた労働者の記憶もあり、「つらい思いをした人も多かったろう。戦争を起こした日本と連合国の双方に責任がある」と訴える。

 石応禅寺に残る資料には、先代住職が韓国側に遺骨の引き取りを何度も呼び掛けたが返答がなく、やむを得ず多宝塔に合祀した事情も記されている。残された遺骨は、戦中戦後の国同士による争いのはざまで翻弄(ほんろう)され、犠牲となった人々の象徴のようにも映る。

 都築住職は「韓国にも家族を捜し続けた人たちがいただろう。祖国の土を踏ませ、家族の元に帰してあげたかった」と思いやる。東日本大震災では避難所として大津波から逃れた人々を救い、心のよりどころとなった同寺。震災犠牲者遺族にも思いをはせ「私たちができるのはお勤めをし、弔うことだけです。仏教が示す心穏やかな『安心(あんじん)』の境地になっていただければ」と、静かに手を合わせた。

関連リンク