「昔の人に会ってみたくなった」-。終戦間際の1945(昭和20)年冬、戦禍を避けるため親子8人で横浜市から盛岡市八幡町に移り住んだ石川次男さん(80)=矢巾町南矢幅。食糧難で生活が苦しい中、家族で支え合って生きた戦中戦後を思い出すため、足が向かなかった八幡町かいわいを65年ぶりに歩き、半生を振り返った。

 会社員だった父の故政治さんと母の故トワさんの次男として横浜市に生まれた。きょうだい6人で不自由なく暮らしていたが、「空襲が来る」とうわさを聞いた政治さんが盛岡市に帰郷を決意。5歳だった次男さんは家族と親戚の家を目指した。

 現在の大慈寺町付近にあった親戚の家に着き、間もなく八幡町の長屋に引っ越した。広く感じたが板張りと土間の家だった。近所からもらった麻袋にわらを詰めて敷き、家族が固まって寒さをしのいだ。食事はヒエやアワのおかゆ。時々、近所の店から購入した天かすをかけて食べた。

 爆撃機は突然、「ガー」という音とともにやってきた。八幡宮裏の防空壕(ごう)に近所の人と逃げ込むこともたびたびあった。

 8月、中学まで住んだ八幡町を歩き、「すっかり変わってしまった」とぽつり。当時登った桜の木を見つけ「幹も太くなった。ずいぶん大きく育った」と感慨深く見詰めた。