奥州市前沢平前 千葉スミ子さん(83)

 終戦は私が小学校3年生の時でした。私の家は、白鳥小学校のすぐ隣、並んで立っているようなところにあります。

 その年の夏休みに入った頃です。兵隊さんが50人ぐらいでしょうか、学校にやって来ました。偉い人たちは職員室に、あとの人は体育館にいたのかと思います。今思えば、広い校庭があったのに一度も全員で外に出たのを見たことがありません。

 近所に民家が5軒ありました。毎日午後になると兵隊さんたちは各家に分かれ、水をくんだりして風呂に入っていたようです。最初に入るのは一番偉い人だったのでしょう。必ず部下の人がついてきました。

 ある日父が、いつも後から入るより、おまえが先に入れと言うので私が入っていると、偉い人が来たのであわてて出ようとしたら「いいから、いいから」と優しく言ってくれました。その後で、ついて来た部下の人と話を始めましたが、その厳しい態度に私はすっかり驚いてしまいました。今でもその時のことは心に残っています。

 それから、炊事係は若い人なので、私たちはいつもその人にまとわりついていました。大きな釜におかゆを炊いていました。ほとんどにこりともしないで一生懸命働いていました。私どももろくに食べ物のない時代でしたが、近くの水路でセリを摘んできて、刻んで入れたりしていたようです(一戸出身だと聞いていました)。

 ある時は4、5人の兵隊さんたちが風呂のついでに家に入り、母の作ったすいとんを食べたことがありました。とにかくいろいろなことがありました。

 そして終戦も間近い頃、わが家の縁側に学校から大量の書類や地図などがいろいろ運びこまれました。終戦となった時のためにわが家に持って来たようです。でも私にすれば、家も調べられたらどうなるんだろうととても心配で、むしろなどで隠したりしたのが思い出されます。

 そして終戦の日。今日は大事な放送がある日だと言うのですが、大人たちは誰も学校には来ません(その頃、学校にしかラジオがありませんでした)。私は友達とそっと職員室に行きました。すると偉い人たちがみんな泣いているので、大変なことが起きているのだなと子どもながら覚えています。

 後で聞いたら、放送の中身はほとんど分からなかったそうですが、兵隊さんたちには分かっていたのでしょう。もちろんその後、兵隊さんたちはいなくなりました。小学生のひと夏の思い出です。