2020.07.06

【第3部】亡き人とともに ④霊場・恐山

悲しみを優しく包む

 あの世とこの世が交錯する青森県むつ市の恐山(おそれざん)。東日本大震災後、肉親を亡くした多くの人が、死者の魂が向かうとされるこの地を訪れた。「面影を近くに感じたい」と切に願う人々。その思いに近づきたくて、下北半島に向かった。

極楽浜のほとりに立つ東日本大震災供養塔。犠牲者の魂を浄土に導いてくれているようだ=青森県むつ市・恐山

 6月下旬、恐山は訪れる者を拒むかのような霧雨に煙り、冷たい風が吹きすさんでいた。荒涼とし、人影は少ない。地獄に見立てた「血の池地獄」や浄土を再現した「極楽浜」などが、死後の世界を表す。ここは極楽なのか、それとも地獄か。自分はどこから来て、どこへ向かうのか…。さまざまな思いが去来した。

 辺りを見ると、幼い子どもの霊を慰めるために立てられた風車が寂しく回っていた。積み上げられた小石の一つ一つから悲しみが伝わった。「心霊スポット」などと軽口をたたくことは決して許されない、重苦しい情念に満ちていた。

 さいたま市から訪れた70代の夫婦は「息子が27歳で亡くなったので。声が聞けるかと思って来ました」と語った。訪れる人は皆、誰かの面影を探していた。

 ごつごつとした岩場を抜けると、突然視界が開けた。白砂が広がる極楽浜だ。そのほとりにひっそりと東日本大震災の犠牲者を弔う供養塔があった。西方浄土で安らかに眠ってほしいとの願いを込め、この地に地蔵菩薩(ぼさつ)像が建立されたのは、震災翌年の7月だった。

 

 きっと母がいた

 陸前高田市出身で、母(59)と祖父(93)=年齢はいずれも当時=を震災で亡くした北上市鳩岡崎の中学校教諭伊藤智江さん(42)は、3年前の夏、友人たちと恐山を訪れた。

 入り口そばにある「三途(さんず)の川」。そこを過ぎた頃から、体が重く感じ、息苦しくなるような不思議な感覚にとらわれていた。

 歩を進めるのもつらいほど。すると、目の前に広がった極楽浜と震災供養塔を前に立ち尽くした。「古里の高田松原の浜辺に似ている。懐かしい」。静かで心が落ち着く場所。「母ちゃん」。心の中で叫んでいた。その時だった。ずっと吹いていた風が、左の後ろで急にぱたりとやんだ。

 「きっと母がそこにいたんだと思う。私のそばに来てくれたんだ」

 

 思い預ける場所

 危険と隣り合わせの漁業をなりわいとした東北の沿岸住民にとって、恐山信仰は古くから根付いていた。死者の言葉を伝える「イタコ」の口寄せを聞こうと、7月の例大祭には多くの人たちが訪れる。

 「自分は霊感もないし、幽霊を見たことは一度もない」と、気さくに語る恐山菩提(ぼだい)寺の南直哉・住職代理(62)。恐山の存在意義を問うと「ここを訪れる人は、死者に対する思いを『解放したい』という人が多い。恐山はその思いを預ける場所」と教えてくれた。そして、それは「死者との新たな縁を結ぶことでもある」と語る。

 ただ、多くの震災被災者と接してきた南さんには少し気がかりなことがある。5年ほど過ぎた頃から、自らの感情を語りたがらない人が多くなった。「一番心配しているのは気持ちを抑圧している人。つらい、悲しいという感情を否定せず、抱いたまま生きていけばいい。必ず何かのきっかけでふに落ちる時が来る」と説く。「深い悲しみは、寂しさに変わり、最後には必ず懐かしさになる」と。

 恐山で母に触れた伊藤さんは「恐山からエネルギーをもらって、また走りだすことができた」と語った。そして中学1年と小学4年に成長した子どもを連れ、また訪れたいという。「震災と共に生きていくことを誓うため。苦しみや悲しみと共に生きていくために」

 その圧倒的な存在感に気おされそうになる恐山。だが、心が傷ついた人たちを包んでくれる、本当は優しさにあふれた場所なのだろう。そう思い振り返ると、温かな風が頬をなでたような気がした。

 

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