2020.07.01

【第3部】亡き人とともに ①不思議な体験㊤

「夢じゃない」青い光

 色を失った陸前高田の街は、遺体の場所を示す真っ赤な旗だけが悲しく風になびき、家族を捜す人たちがさまよい歩いていた。

吉田寛さんが震災当時に着ていた消防団のはんてん

 陸前高田市消防団高田分団の団員たちは、自らの家や家族を失いながら、捜索活動に加わった。初めは手作業だったが、自衛隊が投入されると、重機でがれきをかき分け、トラックの荷台に次々に遺体を載せていった。まるで戦争映画を見ているようだった。

 「自分で見つける。家族は誰にも触れさせたくない」。同市高田町で電気店を営んでいた吉田寛さん(42)は、はんてん一枚を羽織って、自宅兼店舗にいたとみられる母静子さん(72)と妻真紀子さん(33)、次男将寛ちゃん(5)=年齢はいずれも当時=を捜していた。

 心も体も憔悴(しょうすい)しきっていた。「でも俺だけじゃない」。同じ境遇だから感じる、ある種の連帯感が精神を保たせてくれた。高田小3階の音楽室に体育用マットを敷き、十数人で寝泊まりした団員たち。そんな、ある日の晩のことだった。

 

 真夜中の訪問者

 「ゴンゴン、ゴンゴン」。ドアをたたく音が響いた。午後11時すぎだったろうか。「こんな遅くに誰だよ」。そう言ってドアを開けると誰もいない。誰かが部屋に入ってくる気配を感じた仲間もいた。「幽霊が出る」。そんなうわさが流れ、寝場所を移した者もいたほどだった。

 吉田さんは幽霊を見たことはないし、信じるタイプでもない。だが、不思議と怖くは感じなかった。「家族が会いに来ているんじゃないか」

 4月10日ごろだった。深夜に仲間とベランダでたばこを吸っていると、青い光が内陸から高田松原のある海の方へ、一直線に伸びているのが見えた。よく見ると、それは500にも600にもなる小さな青い明かりだった。「LEDの街灯でもつけたのかなあ」。そんな会話をしながら、あまりにもその光の筋が奇麗で「心が癒やされた」。

 だが、光が見えたのはその夜だけだった。もちろん昼間に現地に行っても街灯は見当たらない。吉田さんの家族3人の遺体が相次いで見つかったのは、その後すぐのことだった。

 

 温かさ込み上げ

 音楽室に寝泊まりした震災後の約1カ月間。無人のドアをノックする音をたびたび聞きながら、最後まで音楽室で寝泊まりしたのは8人。その全員が家族を亡くした者たちだった。

 吉田さんは、あの青い光のことをずっと考えていた。「亡くなった人たちの魂なんじゃないか。みんなで手を携えて、天国に旅立って行ったのかもしれない」「成仏してくれたんだ」。いつ頃からか、そう思うようになっていた。

 仮設店舗でがむしゃらに働き続けた9年余り。男手一つで育ててきた長男の芳広さん(18)は今春、高校を卒業し、父の背中を追って仙台市の電気工事会社に勤め始めた。年内には中心部のかさ上げ地に念願の店舗兼住宅が完成する。

 正直、今も心の整理はついていない。「家族を助けられなかった無念を、一生背負っていかないといけないとも思っている」。ただ、あの音楽室の出来事が心を支えてくれている。「夢じゃないよ。間違いなく見たんだから」。思い出すたびに、温かい何かが胸に込み上げてくる。

 
◇       ◇

 東日本大震災の被災地は、不思議な話であふれている。それを非科学的だと笑うのは簡単だ。だが、その体験を大切に心にしまっている人たちがいる。「夢でも、幽霊でもいいから会いたい」。こう切に願う人たちもいる。取材で出会った人たちが語る本当の話を通じて、死と生、亡き人の弔いの在り方を考えたい。

 (第3部は6回続き)

 

関連記事