2020.06.08

あしあと(35)金沢 晃さん(岩泉)

ミズダコを揚げ、顔がほころぶ金沢晃さん=岩泉町・小本港沖(撮影データ=35ミリF11、60分の1秒)

娘の電話 幻じゃない

美樹さんの思い出を語り合う、金沢晃さん(右)、由江さん夫妻(撮影データ=50ミリF1.2、60分の1秒)

 陸の明かりがついえた、東日本大震災の夜。暗闇の洋上に携帯電話が響いた。白く輝く画面に浮かぶ、長女美樹さん=当時(27)=の名前。手を伸ばすと、消えてしまった。かけ直そうとしたら、圏外だった。

 岩泉町小本(おもと)の漁業金沢晃さん(61)は、地震直後に茂師(もし)漁港を出航。仲吉(なかよし)丸(4トン)で沖へ避難し、白波を立てて海成段丘をなぞっていく津波を見た。1個数十トンの消波ブロックが一瞬で消えてしまう威力に、震えた。

 釜石の漁業無線局が一晩中避難者の名前を読み上げ、「陸(おか)は全滅」と救援を求めていた。分かっていたはずだった。地上の携帯基地局はとっくに機能を失っていた。携帯電話が通じるはずはなかった。それでもあの1本の電話を支えに、洋上で2晩耐えた。

成人式を迎えた金沢美樹さん(中央の写真右など)ら、姉妹の写真(撮影データ=50ミリF1.2、60分の1秒)

 3月13日の昼すぎ、ようやく小本港へ入港すると、美樹さんが勤めていた宮古市田老のコンビニエンスストアの店員が「全員逃げ遅れた」と聞かされた。

 「そんなばかな」。携帯電話を調べたが、あるはずの着信履歴は残っていなかった。希望は、幻だった。

 気が強く、我慢強く、家族思いの子だった。3姉妹の長女で、苦しい家計を知っていたのか、携帯電話を持つ時も、運転免許を取る時も、盛岡市内の専門学校に進む時も、自らアルバイトして費用を稼いだ。

 震災前、妻由江さん(62)と姉妹3人で同市に買い物に行った帰り道では「私が長女なんだから、年を取ったらちゃんと家をみていくから」と話してくれた。念願の地元就職が決まり、3年間勤めたコンビニエンスストアをもうすぐ辞めるところだった。

 あれから間もなく10年。小本中時代の先生や、専門学校の友人らが毎年弔問に来てくれる。同級生は一人、また一人と親になり、感謝とともに、娘にもあったはずの人生を思い知らされる。

 「世の中がどんなに進んでも、娘を失った家族の気持ちは変わらない」。それは海のように深く、青い。

 仲吉丸は今、太平洋を昇る朝日に向かって進む。70メートル下の海底から次々とかごを引き上げ、時折5キロほどのミズダコがかかっていると、思わず顔がほころぶ。サケはえ縄漁の不漁や新型コロナウイルス感染症による需要の減少など不安は尽きないが、海はやはりありがたい。

 「誰が何と言おうと、あの日ここで電話が鳴った。気のせいじゃない。美樹は、家族に最後の別れを告げに来たんだ」

 海の恵みのような娘の優しさを、決して忘れない。ご遺族が生き続ける限り、東日本大震災は一日も欠かさず続く。

(文・写真、報道部・太田代剛)

(終わり)

賢治の言葉

Ora Orade Shitori egumo

 永訣の朝より抜粋

 
~東日本大震災
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日~
 
 ◇主な使用資機材▽カメラ ニコンF3P▽フィルム アグファフォトAPX400▽フィルム現像液 D-76▽印画紙 フジブロWPFM2▽印画紙現像液 デクトール