2020.06.02

【第2部】最後の一人まで ②DNA型鑑定

挑戦を続ける研究者

 大槌湾で人骨発見-。こんなニュースが飛び込んできたのは、昨年9月末だった。

 「中に人の骨のようなものが入っている」。男性漁業者がアナゴのはえ縄の針に引っ掛かった長袖のトレーナーとTシャツを見つけ、釜石海上保安部に通報。宮城県内の大学で司法解剖した結果、60~80代男性の上腕や肩の骨とみられることが分かった。

古里への思いを胸に、DNA型鑑定に挑む佐々木善敏・上席専門研究員=盛岡市内丸

 「震災犠牲者の可能性が否定できない」。同部はすぐに岩手県警に連絡。刑事部に所属し物証などの鑑定を行う科学捜査研究所(科捜研)に持ち込まれた。

 警察捜査にDNA型鑑定が導入された1990年代初めから担当する佐々木善敏・上席専門研究員(57)は、骨を見て少し驚いた。「意外に保存状態がいい」。腐敗がなく見た目は新しい。震災犠牲者なら海底の砂の中に埋まっていたのかもしれない。

 「できそうだ」

 すぐに骨の細胞から核DNAを抽出する作業に着手した。サンプリング量など微妙な加減が職人技とされるDNAの抽出。佐々木研究員は一発で成功させると、新型コロナウイルスで有名になったPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)装置にかけて遺伝子を増幅して検出し、解析した。

 ほどなくして型を特定し、約5千人の行方不明者家族のDNA型を保存するデータベースで検索。候補者が浮上した。「型が一致した時が何よりうれしい」。着衣などを捜査していた捜査一課「引渡(ひきわたし)・追跡班」が遺族と面会し、発見から約2カ月で遺骨を引き渡した。

 

 執念とプライド

 「同級生の母親とか、見つかればいいなあと思いながらずっと鑑定をしている。ご家族の気持ちは痛いほど分かりますよ」

 山田町出身の佐々木研究員はこう語る。津波で多くの親戚を亡くし、震災当時に盛岡市にいた父親もショックだったのか、直後に倒れ、8月に帰らぬ人となった。被災地を初めて訪れたのは四十九日法要の時。変わり果てた古里と、いまだに大量のがれきが積み重なり、遺体が発見されていた現場に「がくぜんとした」。

 それ以降、実験室で鑑定に没頭した。DNAがうまく抽出できなければ、何度も何度も繰り返し、半年かけてようやく抽出できたものもあれば、仕方なく諦めたケースもある。

 「ドラマのように現場に駆けつけたり、被疑者を追いかけたりはしません。地味な仕事ですよ」。謙虚な言葉にプライドがのぞく。

 

 不可能を可能に

 検査機器の進化などで「565京(けい)人に1人」の確率まで個人識別が可能とされ、事件捜査などに不可欠となるDNA型鑑定。その成否は検体の保存状態で決まる中、近年、従来の手法では難しいケースで、ミトコンドリアDNAを使った鑑定が成果を上げている。

 県警の依頼で本県で唯一、同鑑定を行う岩手医大法科学講座の熊谷礼子研究員(64)は「最後の手段として私の所に来る。何とか身元を特定したいという一心でやっている」と語る。ただ、「時間の経過とともに鑑定不能のものが多くなっている。時間との闘いだ」とも。

 県警が追跡捜査を行う身元不明者49人のうち32人は焼死体のため、鑑定が難しく、身元特定は困難を極めている。だが実は、震災直後に他県の科捜研に依頼し「鑑定不能」として返された検体の中で、再鑑定をした結果、最近になってDNA型を検出できたケースも出ている。機器の進化以上に、震災を経験した研究者個々人の技術の向上が、不可能を可能にしている。

 「何とか焼死体の身元を特定できないか。まだチャレンジする余地があるかもしれない」と佐々木研究員。試行錯誤の先に希望があると信じている。

 

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