2020.06.19

創造の火は消せない

 
 

アートディレクター(盛岡)

板垣 崇志

 人の文化と文明は時代を経るほどに、より巨大で高度で入り組んだシステムになり続けた。人間が求めるそのベクトルは、私たちに刷り込まれたもののように一貫して変わることがないようだ。そして、そのベクトルがどれほど伸展しても、時折有無を言わせぬ巨大な力で引き戻すのが「自然」だ。その力は、今回はウイルスの姿で私たちの社会を訪れた。

 人が住まなくなった家には草が生えやがて木が生え、再び森に帰ろうとする。私たちの世界では、いつもそのような力がすべてにわたって働いている。

 もちろん私たちが「人類の進歩」と呼ぶものの原動力もまた、自然が私たちの脳に与えたものに違いない。相反する力に見える私たちと自然は、より大きな意味において一体のものとして何かを営もうとしている事象なのだろう。その意味を探るならば、私たちはおそらく人類の未来を正しく予見することができるのではないだろうか。

 高度な社会化によって私たちが手にした恩恵を、時折自然が取り上げていく。それでも丸裸の自然物としての私たち自身、すなわち私たちの「身体」とそこに宿る「魂」は、最後まで私たちに残してもらえることも多い。

 私が仕事で関わる知的障害のある人たちの中には、社会のシステムや関係性とあまり密につながらずに表現の営みをしている人がいる。ただ自らの内にある何かとの対話として、紙に線を引き、色を置く。第三者と社会から時に「芸術作品」と呼ばれるそれは、作者の魂と、机上の紙との間で行き来するのみの出来事としてすでに完結している。その描かれたものに強い関心を抱いた第三者がそこに介入し、社会のネットワークの中に運び出すようなことでもない限り。

 そもそも鑑賞者というような第三者の存在を想定せず表現を遂行し続けてきたそれらの作者は、今回の新興感染症による社会へのこれほど巨大なインパクトからも、特に影響を受けていない。コロナ以前と何も変わることのない創作の姿勢と風景が、そこにあり続けている。

 私たちはもしかしたら表現というものが、社会的な文脈で「文化」と呼ばれる以前に、極めて私的で非社会的な小宇宙の中で創造される「何か」だということを忘れかけていないだろうか。その創造の原初の光景は、本当の宇宙の始まりと似ているように思う。それを宇宙と呼んでいる私たちの存在より遥(はる)か前に「宇宙」が誕生した時の、名づける者のいない始まりの光景に重なりはしないか。宇宙は創造を繰り返している。今、私たちの内部でも。

 私たちが社会生活を営むために文化を語ることは重要だが、そのために社会的文脈未然の創造が持つ厳粛な孤立性を忘れてはならないと思う。それは自然がどのような力で私たちの社会性を破壊してもなお私たち一人一人の内側に残される、宇宙から託された消えない創造の火だ。すべての社会文化的な創造が、この火種から生み出されている。

 この火種の存在を忘れることなく保ち続ける、知的な障害のある創造者の姿勢を私たちは敬意と共に見つめるべきと思う。そこには私たちが知るべき永遠のメッセージが、言葉ではない言葉で語られている。

 (終わり)

 

 いたがき・たかし 1971年花巻市生まれ。東京学芸大で神経心理学、岩手大で銅版画を学ぶ。2004年度県美術選奨受賞。07年から「るんびにい美術館」アートディレクター。震災被災地の子どもたちを支援する任意団体「心輝く造形あそびプロジェクトからふる」副代表。20年「しゃかいのくすり研究所」を設立、同代表。

 

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