2020.05.08

【第1部】10年目の被災地 ⑤「あそこにいる」

最後にもう一度だけ

 古川沼の水面は、静かに波立っていた。

復興工事が周辺で進む古川沼を見つめる吉田税さん。「このままでは諦めきれない」と絞り出すように語る=陸前高田市高田町

 「ここは墓場だよ」。東日本大震災で長男利行さん=当時(43)=が行方不明となっている陸前高田市米崎町の吉田税(ちから)さん(81)は、復興祈念公園の整備に伴い一部で土砂の投入が進む同市の古川沼を見つめ、無念をかみ殺すように語る。

 陸前高田民主商工会の事務局長を務め、市役所でお年寄りを助けようとして津波にのまれたとみられる利行さんは、優しい自慢の息子だった。

 「このままでは諦めきれない。古川沼には必ず遺体が眠っているはず。震災10年を機にもう一度だけ、最後のお願いをしたい」

 

 真っ黒なヘドロ

 震災前、名勝高田松原に隣接する汽水域として、県内最大の自然湖沼ともいわれた古川沼。同市は202人が行方不明のままだが、これまでに古川沼で見つかった遺体はない。これに疑問を持つ行方不明者家族からは、捜索を求める声が上がっていた。

 2016年、吉田さんらは捜索を要望して署名運動を展開。国内外から約2万8千人の署名が集まり、同年11月に県警と海上保安庁の合同捜索が行われた。

 捜索は潜水士10人ら40人態勢で午前中に行ったが、その日の午後、撮影した水中の映像を見た家族はがくぜんとした。真っ黒な分厚いヘドロで埋まる沼底。視界が悪く、がれきらしい物がかすかに見えたが、人の手で引き揚げるのは困難な状況だった。

 「これ以上の捜索は不可能です」。こう伝えられた家族。手掛かりなし-。これが公式発表だった。

 納得はできなかった。「もっと徹底して、これ以上できないところまで捜索してほしい」。その後も、古川沼の水を抜いたり、沼底をさらうしゅんせつ工事を行うなど、抜本的な方策を市に要望したが、「復興事業のメニューにない」などとして動かなかった。

 吉田さんらは来年の震災10年を機に、古川沼を管理する県などに、再捜索を要望することも考えている。

 

 9年が生んだ差

 ただ、家族の思いはさまざまだ。署名運動を共に行った市内の男性(68)は「気持ちは分かるが、もう十分にやってもらったという思いもある」と話す。

 吉田さんの長女で、自身も震災で2人の子どもを亡くした戸羽初枝さん(58)は「遺族の中でも気持ちに〝差〟が生まれている」と語る。「心の復興の進み具合が影響しているのかもしれない」

 家の流失や家族の犠牲の有無、そして家族の遺体が見つかった人とそうでない人…。行方不明者家族ですら、この9年間で考え方の違いは大きくなっている。

 古川沼の再捜索や震災検証の徹底など、震災後の市に要求を突き付けてきた戸羽さん。「まだそんなこと言っているの?」と他人から言われたこともある。「この9年間、家族を失ったことをずっと背負っていく覚悟を持ってきた。でもその重さに押しつぶされそうになる…」

 吉田さん宅には、3年ほど前に内陸側の工事現場で偶然見つかった利行さんのかばんが、発見当時のまま保管されている。それまで「どこかで生きているかも」と半信半疑だったが、中にあった愛用の電卓を見て「死んだことが初めて分かった」。そして「引き波で海側に流されたのでは」とも。それ以来、古川沼への思いはさらに募っている。

 「復興、復興と、目に見える復興は進んできたが、どこかに置き去りにされているようだ」。遠くに響く重機の音を聞きながら、吉田さんは寂しげに語った。

 

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