2020.05.06

【第1部】10年目の被災地 ④一日も早く

待つ家族に応えたい

 大切な人につながる何かを見つけようと、黙々と捜し続けていた。大船渡署は4月、陸前高田市竹駒町の気仙川周辺で東日本大震災の行方不明者を捜索。署員は草木をかき分けながら河原を進み、土を掘り起こし、遺骨や遺留品などの手掛かりを捜した。

「帰りを待つ家族のために」。気仙川河川敷で行方不明者の手掛かりを捜す大船渡署員=陸前高田市竹駒町

 「捜索のたびに震災を思い出す。亡くなられた方はどんなに無念だったろう」。大船渡市三陸町越喜来出身で、中学時代に津波から逃れた地域課巡査の田端人徳(きよのり)さん(24)は唇をかむ。これまで10回以上捜索に参加し、被災者への思いは人一倍強い。

 地域で多くの人と接していると「表には出さないが心が疲れている人が多い」と感じる。だからこそ「9年が過ぎても帰りを待つ家族がいるのなら、何か手掛かりを見つけたい」。

 

 県警の活動続く

 震災による行方不明者は3月末現在、県内で1112人に上る。大槌町が417人と最多で、次いで陸前高田市の202人。大槌町や山田町(145人)は火災が起きたため、身元が分からない遺骨も多い。

 月命日前後に県警が行ってきた捜索活動は、震災直後の2011年は全国の警察官の応援を得て延べ11万人が動員され、本県で計4667人の発見につながった。海上保安庁や消防と連携した水中捜索も19年までに計33回行った。

 ただ、捜索による発見は、12年12月11日の陸前高田市米崎町内が最後。盛り土や防潮堤建設の本格化に伴い、捜索できる場所は減少していった。18年度から、県警本部主導から沿岸5署それぞれの判断による活動に切り替えられた。

 捜索は災害救助法に定められ、提出された行方不明者届に基づく警察の通常活動だが、何よりも家族の思いに応えようとする現場の使命感が大きい。

 

 区切りつかない

 陸前高田市小友町の災害公営住宅に1人で暮らす中村美紀子さん(72)は、待ち続ける家族の一人だ。

 夫の正男さん=当時(61)=は区長で防犯協会の役員でもあり、地震発生時は見回り中だった。「1人暮らしの高齢者宅を見てくる」と仲間に語ったのが最後の言葉。中村さんは、娘のDNAの提供や夫の震災当日の服装など、県警に分かる限りの情報を伝え、連絡を待っている。

 9年はあっという間だった。「もう諦めている」と言いながら、漁網に偶然引っ掛かるなど「人骨発見」のニュースを聞くたびに「もしかして…」と心はかき乱される。「気持ちの区切りがつかない。本当に小さな骨でもいい。一日も早く見つかってほしい」

 遺骨はもちろん、自宅を津波で流され遺品もなく、墓には同級生からもらった写真を入れた。夫の居場所が知りたくて、当たると評判の大船渡市の「オガミサマ」と呼ばれるみこに、口寄せしてもらったことも。だが「海に行った」と言われただけで、どうしても納得できなかった。

 たまに見る夫の夢はうれしさ半分、悲しさ半分だ。「お父さんが何か話しているんだけれど。覚えてないの。どうして夢って朝になると忘れちゃうんだろう…」。涙で言葉が続かなかった。

 県外で暮らす2人の娘と3人の孫が毎年ゴールデンウイークに遊びに来ていたが、今年は新型コロナウイルス感染症拡大に伴う緊急事態宣言の影響で、取りやめになってしまった。

 「狭い部屋でみんなで、わいわい騒ぐのが楽しみだったのに。夏休みは忙しいようだし、今年はもう会えないのかもしれない」

 普段より広く感じる2DKの部屋。見えない不安は被災者の心をさらに重くしている。

 

関連記事