2020.05.12

【第1部】10年目の被災地 ⑥認めたくない

「待ってる」星に祈り

 星空はそれぞれの悲しみを包み込むように、優しく輝いていた。もしかして記憶喪失になって、別の土地で暮らしているのかもしれない-。取材で出会った行方不明者の家族から、そんな話を何度も聞いた。

夜空に輝く大槌町中心部。大勢が星に祈りを込める(5秒露光)

 大槌町安渡の白銀(しろがね)照男さん(71)は毎晩、たばこを吸いながら星に祈っている。「早く帰って来い。みんな待ってるぞ」。話していると、星がにじんでいく。「思い出すなんてもんじゃない。あの時の気持ちそのまんま。時間が止まったようだ」

 母(83)と妻(54)、長女(34)=年齢はいずれも当時=の3人全員が行方不明のまま。東日本大震災後、約1年間は自力で家族を捜そうと積み上がったがれきを調べ歩いた。その後もがれき処理の仕事をしながら捜し続けた。

 悩んだ末、葬儀を行う関係で死亡届を出したのが震災から2年近くたってから。墓には全壊した自宅跡に唯一残っていたタイルを入れたが、墓石にはいまだに3人の名前を彫れずにいる。「死んだのも半信半疑。名前を彫れば諦めることになる」

 今でも「お父さん」と背中をたたかれるような気がする。「気を付けてね」。妻の最後の言葉が耳にこびりついて離れない。

 

 芳名板掲載断る

 釜石市鵜住居(うのすまい)町の釜石祈りのパークに設置された、震災犠牲者の芳名板。行方不明者を含む1001人の名前が刻まれているが、夫が行方不明の同市片岸町の60代女性は、市の意向調査に対し名前の掲載を断った。

 「亡くなったのを理解はしているけれど…。そこに名前を書かれるのは何となく嫌だった」と話す。芳名板に名前が刻まれることで、亡くなったことを事実として受け止めるのが怖かった。

 遺体が見つかった人と行方不明者が一緒に掲載されることにも、何かしら抵抗感を覚える。「少しでも見つかっている人はいいけれど、うちは見つかっていない。そんな場所に行くのも嫌だった」

 遺骨の入っていない墓を建てても、そこに夫がいるとは思えない。近くにいるような気がしてならない。「1人暮らしの家に友達が遊びに来てくれると、『寂しくないようにお父さんが呼んでくれたのかな』と思っちゃうんです」

 

 「あの日のまま」

 大槌町のパート女性(46)は、行方不明の夫=当時(37)=について「こんなことを言うとおかしいと思われそうだけれど」と前置きしつつ、「見つかってほしいかどうかは、半分半分かな」と率直な気持ちを語る。

 消防団員で、震災当時避難誘導をしていた夫。「行方不明のままでいてくれたら、何となくどこかで…、という思いもある。そういうのもあればいいな、と期待している自分もいる」

 夫の持ち物は全て震災前のまま。「想像だけれど、ひょっこり帰って来ないかって思って」と話すが、「旦那の夢を見ることはないんです」とも。「震災後に眠れなくて、ずっと薬を飲んでいるので…」。うつむきながらこう語った。

 子どもたちの子育てや進学、就職、職場の愚痴…。「相談したいことは山ほどある」。でも「心配して気を使われるのはもう嫌だ」と、周囲に相談できる人はいない。

 「周りは動いているけれど、私にとってはあの日のまま」

 この日は夫の47回目の誕生日だった。「ケーキを買って帰らなくちゃ」。はにかむように語る彼女の目も、かすかに潤んでいた。

 

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