2020.03.13

あしあと(特別編)藤原菜穂華さん、洞口留伊さん、菊池のどかさん

東日本大震災の教訓を伝え続ける(左から)洞口留伊さん、藤原菜穂華さん、菊池のどかさん=釜石市・室浜海岸(撮影データ=24ミリF16、250分の1秒)

語り継ぐ使命、永遠に

 室浜海岸のなぎさに立つ。大槌湾は穏やかに輝いていた。「そういえば、津波のあと海に来たの初めてだね」。東日本大震災から9年。母を、仲間を、ふるさとを奪った海へのわだかまりは消えていた。

 避難所で「お母さんどこ?」と捜していると、誰かが絵本を読んでくれた。3歳で母を亡くした釜石市の鵜住居(うのすまい)小6年、藤原菜穂華(なおか)さんは、寄り添う心の温かさを覚えている。

輝く海。わだかまりは消えた(撮影データ=24ミリF16、250分の1秒)

 2018年9月、5年生の時に北海道胆振(いぶり)東部地震が起きた。「人のために何かしたい」と募金活動を始めたが、お金を渡すだけでは何か足りない気がする。「自分が得意な絵本の読み聞かせをしよう」と思い立ち、被災地厚真町で語り部の活動を始めた。

 震災からの9年間はあっという間だった。けれど、記憶はどんどん薄れていく。気さくで踊りが大好きで、毎年大槌町の秋祭りで踊っていた母千穂さん=当時(26)=の面影も。忘れたくないもの、忘れてはいけないものも、必ず。

 だからこそ、釜石で何が起きたのかを伝え続けたい。

 活動を通じて、多くの人に出会った。ずっと続けて、一緒に語り継いでいきたい。どんな時も、誰かのそばにいてあげたい。そんな私を、お母さんはきっと応援してくれる。

 昨年、同市鵜住居町で開かれたラグビーワールドカップ(W杯)の歓声が、ノーサイドの笛になった。釜石高3年の洞口留伊さんは「二度と悲劇を繰り返さないために」と、W杯に訪れた世界の人たちに「釜石の出来事」を語り掛けた。

 学校があった場所にラグビースタジアムができると聞いた時、心がちくりとした。大好きだった学校を壊さないでほしかった。

 だけど、スタジアムがW杯の大歓声に包まれた時、たくさんの声にあふれていた学校が戻った気がした。あれほど遠く思えた復興に、手が届くと感じた。「本当にここまで来れたんだ」とかみしめた。

 大勢の観客が悲しい釜石の話を聞き、祈りをささげてくれた。ラグビーを見に来たはずなのに次々と立ち止まり、涙をこぼし、熱心に質問してくれた。

 その瞳に「私は鵜住居が大好き」と、古里への思いを込めた。自然もそこで暮らす人たちも。だからこそ自分のまちを守りたくなる。それが防災につながるのだと。

復興が進む鵜住居。このまちは必ず立ち上がる=本社特別機から(撮影データ=35ミリF11、125分の1秒)

 同市鵜住居町のいのちをつなぐ未来館で語り部ガイドを務める菊池のどかさん(24)は、海辺ではしゃぐ2人を見守る。

 優れた防災教育の成果で子どもたちが津波を逃れたとたたえられた「釜石の出来事」。その中で、釜石東中と鵜住居小では、休みだったり帰宅したりしていた児童生徒3人と、最後まで学校に残った職員1人が犠牲になっている。

 毎日訪れる大勢の人たちに、目を潤ませ、悩み、迷い、身を削るようにして、その事実を伝える。もう二度と、誰にも同じ思いをしてほしくないから、重い教訓を心に届けたい。

 生かされた者の使命は、犠牲者一人一人の無念を思い、伝え続けること。一人、二人、また一人と世代を重ね、支え合い、永遠に語り継いでいく。

(文・写真、報道部・太田代剛)

賢治の言葉

われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である

 農民芸術概論綱要より抜粋

 
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