2020.03.12

のんさんと駆ける聖火の道⑤ 奇跡の一本松のような存在に

 岩手県沿岸部の聖火リレーを締めくくるのは、東日本大震災の被害が岩手で最も大きかった陸前高田市。犠牲者1556人を出した同市のルートは「奇跡の一本松」を起点に、新たな町づくりが進む市街地を通る。

陸前高田市のスタート地点となる奇跡の一本松周辺=2019年12月17日

 のんさんは2012年、一本松を初めて見学した。「激しい震災の中、津波に耐えて力強く空に向かって伸びていました。その姿にとても元気づけられました」と当時を懐かしむ。


 「奇跡の一本松」は、長さ約2キロにわたって約7万本の松が広がっていた国の名勝、高田松原に立っていた。砂浜は夏の海水浴客でにぎわい、2010年は17万人が訪れた。松に囲まれた遊歩道は市民の憩いの場だった。

被災前の高田松原=2008年

 東京五輪が開催された1964年夏も、高田松原で海水浴を楽しむ県民でにぎわっていた。当時の岩手日報紙面でも紹介している。同年は、陸中海岸国立公園拡張指定1年目。県外からの学生の姿が目立ち、平日5千人、週末は7千~1万人の観光客が訪れていた。

高田松原のにぎわいを報じる1964年8月12日付の岩手日報

 白砂青松の美しい砂浜は東日本大震災の津波で壊滅した。約7万本が根こそぎ流されたり途中で折れ、市内のがれきの中にも松が目立った。そんな中、津波に耐え1本だけ残ったのが「奇跡の一本松」。震災復興のシンボルとなった。

 樹齢200年以上、高さ約30メートル。しかし、地下60センチまで塩分濃度の高い地下水が上がったことで、生育に厳しい環境にあった一本松は根が腐り始めた。

2011年3月11日、津波に耐えて立つ一本松

 放置すると枯れる危険があることから、海水の浸入を防ぐ工事や、活性剤散布や幹を守るための対策が講じられたが、葉が本来の深緑色を完全に失い、茶色く変色を始めた。12月には回復が困難になっていることが分かった。根が塩分を含んだ水につかって腐り、人間に例えると「自分で息ができない状態」。枝や葉が落ちて、最終的には倒れる可能性もあった。

2011年3月11日、津波に耐えて立つ一本松

「私も岩手の皆さんに勇気を…」

 陸前高田市は「奇跡の一本松」を伐採し、震災を語り継ぐモニュメントとして復元することを決めた。

 戸羽太市長は「松はわれわれに生きる希望を与えてくれた。長い復興の上で今後も市民の支えになってほしい」と思いを託した。

保存のため伐採される奇跡の一本松

 

 12年9月に伐採された一本松は復元作業を経て、13年7月に復元を終えた。国内外から協力を求めた保存費用の募金額は、同年7月1日までに1億6298万円となり、当初目標の1億5千万円を突破した。

元気な歌声を響かせ、奇跡の一本松の完成を祝う米崎保育園の園児=2013年7月3日

 奇跡の一本松には、その後も多くの人たちが訪れた。広田湾に向かって献花台が設けられ、一帯は永く犠牲者を悼み、教訓を国内外に伝える場となっている。

陸前高田市の東日本大震災津波伝承館。津波の惨禍や復興への歩みを伝えるパネルが展示されている=2019年9月22日

 周囲には「道の駅」も完成し、市内中心部では新たな街づくりも始まっている。聖火リレーは、そうした陸前高田の復興の姿を広く世に知らしめる機会でもある。

津波伝承館から防潮堤上の「海を望む場」までをつなぐ「祈りの軸」

 一本松をシンボルに進む復興の様子を聞き、のんさんも決意する。「一本松のように、私も岩手の皆さんに勇気を与えられるような存在になっていきたい」

(記事中の年齢と肩書きは岩手日報社が取材した当時のもの)

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 この記事は、岩手日報社が「LINE NEWS」編集部と共同で企画、構成しました。記事全文は「LINE NEWS」でもご覧いただけます。