2020.02.03

あしあと(30)内舘 伯夫さん(山田)

父健剛さんの遺志を継ぎ、子どもたちを見守る内舘伯夫さん(撮影データ=200ミリF4、80分の1秒(スピードライト使用))

人を思う心 伝え育む

 底冷えの体育館で、悲しさを優しさに、後悔を思いやりに、自責の念を助け合いに変えた。この町の人たちが東日本大震災を生き抜いた思いを、子どもたちに伝えている。

 山田町の中高生らにバスケットボールを指導する同町飯岡の歯科医師内舘伯夫(みちお)さん(43)は「それが震災を乗り越え、亡くなった方々に敬意を示すことになる」と信じる。

姫路城をイメージした本設の歯科診療所=山田町飯岡(撮影データ=200ミリF8、125分の1秒)

 山田中の女子バスケットボール部員は7人。背の高い子も、低い子もいる。運動能力の高い子も、そうでない子も、ワンチームにならないと戦えない。荒々しくも温かい漁師町で真っすぐ育つ子どもたちに、仲間を思う心を染み込ませていく。

 同校は一昨年の県中学校総体で準優勝。決勝は有望選手がそろう盛岡白百合学園中に敗れたが、最後まで声を出して士気を保ち、一人一人が自分の長所を出して立ち向かった。コーチ就任14年目で、夢にまでみた東北大会出場を果たした。

 その実績は今、超えるべき目標となり、後輩たちはもっと深く、高いところを目指して練習に励んでいる。

 「努力と我慢を大切にし、自分を信じ切れる大人に育ってほしい」と願うまなざしに、震災で亡くした父健剛さん=当時(64)=の思いが重なる。

 父もスポーツマンで、長年子どもたちにカヌーなどの海洋スポーツを教えていた。町を退職後、同町船越の介護老人保健施設シーサイドかろの事務長となり、震災時は利用者の避難を指揮した。

 津波が押し寄せる直前、「いまバタバタしてる。また後で」と言って切れた電話が最後になった。

 避難所では、唯一の医療従事者として避難者の命を背負った。時に歯科医師として責任を負いきれない決断も下し、擦り切れていった。「昼が短すぎて何もできず、夜が異様に長かった」

 なぜ「逃げろ」と言わなかったのか。暗闇で自責と後悔に押しつぶされそうになると、健剛さんの最期の言葉が心に響いた。「私はいいから他の人のことを」と言っていたように思えた。

 だから、悲しさを優しさに変えた。皆がそうして支え合い、生き抜いた。その思いを伝えたい。多くの子どもがこの町で大人になり、さらに高く、深いところを目指してほしい。

 姫路城をイメージした純白の歯科診療所が、間もなく高台に開院する。プレハブの仮設診療所で頑張った自らの復興を「あっという間だった」と笑い飛ばし、子どもたちを一歩、また一歩と導き続ける。

 父の願いとともに。

(文・写真、報道部・太田代剛)

賢治の言葉

すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから

 春と修羅・序より抜粋

 
~東日本大震災
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