2020.01.29

座右の銘は「背伸びをしなければ、背は伸びない」

 盛岡でライブバー「燈門(ともん)」を営みながら多彩な音楽活動を繰り広げる伊藤ともんさん。岩手日報の情報紙「#mekke(めっけ)」では、お悩み相談コーナーを担当し、温かく、時に厳しさもあるアドバイスで、ファンを増やしています。そんなともんさんを深掘りしてきました。

-ともんさんはフルート奏者や歌手としても活動していますが、小さい頃から音楽を習っていたんですか?

 小さい頃は体も小さくて痩せっぽちで、運動音痴だったんですよ。他の子に比べて誇れる事って、音楽だったんです。歌もそうだけど、笛とかピアニカとか。でも習ったことなかったんだけど、たぶん音感は良かったんだと思う。百恵ちゃんやピンクレディーなんかは、クラスの誰よりも先に覚えて、女子に教えてた。「ともん音楽教室」みたいな感じで、振り付けも覚えて。当時から社交性はあったんだね。だから、いじめられることもなく、すくすくと育った。純粋に音楽が好きだったね。

-楽器を本格的に始めたのはいつからですか?

 中学1年の時に吹奏楽部に入ってからね。当時は、先生の言うことは絶対って感じの時代だったし、部活も全員が入らなきゃいけなかった。それで、仕方なく科学部に入ったの。科学部っていっても、つまりは帰宅部よね。でもある時、子ども心にも、このままじゃ良くないって思ったんですよ。そのときに、音楽室から笛や太鼓の音が聞こえて来て。吹奏楽部の部室だったんです。そのときに「よし!」と思って。女子部員ばっかりだったんだけど、「見学させてください」って言ったの。人生の中でも、かなり勇気を必要とした出来事だった。吹奏楽部でも男子が欲しくて、男子はラッパか太鼓ってことで、トランペットをやったんです。そこが音楽遍歴のスタートです。

-大学でも楽器を続けていたんですね?

 続けるも何も、吹奏楽部に入るために関西大学に行ったんだもの。入学式当日に入部したわ(笑)フルート男子急募だったらしくて、そっからフルート。岩手からはるばる大阪まで来たってことで、部費で私のためにいいフルートを買ってくれたの。そこからフルートの鬼になったの。大学の4年間はフルートに明け暮れたわね。

-大学を卒業後は会社員として働いたんですね?

 時はバブル!DCブランドが大ブームでね。給料も良さそうだったからアパレル会社に就職したの。2年間販売員として百貨店に立ちました。難波の高島屋と神戸大丸。売ったわよ~。しかもレディースだったの。お客様には洋服のことだけじゃなく、「何時からあそこのシューマイが安くなりますよ」とか、そういう情報も仕入れておいて教えるの。そうすると、お母さんとお嬢さん2人で来るお客様は、さっと決めて買っていくわけ。シューマイも買いたいから。それから、ネットの時代じゃなかったから、手書きでサンキューカードを書くと必ずリピートしてくださった。優秀販売員で、表彰されたこともありました。

-そこから自分のお店を開いたのは?

 社会人になって大阪で3年、東京で2年、人間関係に悩み一度転職もしたわ。ところが28歳の時、倒産により解雇。すぐ働かなくちゃいけない状況だったから、一年間カラオケスナックでアルバイトをした後で自分のお店を始めたの。もうね、勢いだけだったわ(笑)

-カラオケスナックからライブバーになったのはどうしてですか?

 10年間渋谷でカラオケスナックをやったんだけど、あるときシャンソン歌手の方と一緒にフルートを久々に演奏する機会があったの。そこでシャンソンに出合って。もう少し音楽的にも向上したいなって気持ちもあって。自分はそれなりに音楽をやって来たし、素人以上プロ未満の人にステージを提供できる、そんな場所があったらいいなと思ったの。自分もステージに立ちたいし、そういうことをしなきゃいけないなと思うような歳になったっていうこともあって。

 これ「めっけ」の相談の一部にも書けそうなんだけど、私の座右の銘にしてる言葉があって、「背伸びをしなければ、背は伸びない」っていう。店を渋谷から新橋に移転する時に背中を押してくれた実業家のお客様に言われた言葉なんだけど。「人生には身の丈以上のことにトライしなきゃいけない時が何度か訪れる。あんた今なんだよ」って言われて。この一言で、それまでの貯金も全部使い果たして、さらに借金してでも、新しいお店を開くっていう一歩を踏み出すことができたの。

-そこまでして新たに挑戦しようと思ったのはなぜですか?

 新しいお店は新橋に出したんだけど、大チャレンジだったの。物事は何でも、続けていればだんだんマンネリ化していくと思うんだけど、だからこそ改革しなきゃって気持ちが大きかったと思うわ。渋谷で2店舗やってたんだけど、新しくライブハウス形式のお店にして、自分自身のスキルアップのためにも移転しようって決めたの。40歳の時だったわ。私は独身だから、自分自身のスキルアップのために、お金や労力を費やせるし、その体力やパワーをそのために充てていこうと思ったの。

-お店を続けて来られた原動力はなんですか?

 ちょっと先ゆく人生の先輩に恵まれたこと。販売員時代の店長も、営業やってたときの営業部長も、今でもつきあいがあるんだけど。あとは毎日のように通ってた飲み屋のママさんやマスター。こういう先輩たちが励ましの言葉を投げかけてくれた。そのときかけてもらった言葉を、今この年になって、実践できるようになってきたかなって思う。今50代半ばだけど、50歳くらいまではやっぱりちょっと無理だった。70代くらいの人が私には心開かなかったもの。でも50代も中盤になってくると、そういう人たちが託してくるのよ。ひょっとしたら数年後生きていられないかもしれない人が、30、40代には言わないことを、「こいつらにはそろそろ良いだろう」みたいな。きっとバトンを受ける時期に来ていると思う。それを正しく受けて、30、40代に伝えていきたいと思ってる。

-岩手に戻って来たきっかけを教えてください。

 数年前まで私は岩手にUターンするつもりは全くなかったの。東京でも大阪でもお店はうまくいってたしね。実は大学時代に父が突然亡くなって、その後母は再婚して岩手を離れちゃった。しばらくして今度は姉が突然亡くなってしまった。私にとって岩手は暗い過去の場所だったの。ところが、東日本大震災を機にその気持ちが変わったの。東北人の我慢強さ、謙虚さを改めて感じて、初めて岩手出身だということに誇りを持つことができたの。そして、残りの人生を岩手で過ごしてみたいと思うようになったのよ。私が岩手で羽ばたくことが、東京・大阪で支えてくれたお客様、そして亡き父と姉への恩返しになると思っているの。

-お店にはどんなお客様がいらっしゃいますか?

 じじ、ばばばっかりよ~(笑)。もう私の接客手法が古いのよ。良い悪いの話じゃないけど、今って飲食にあんまりお金を掛けられないから、食べて飲んで終わるの。お酒だけ飲む店に、「カウンター遊び」なんて言葉があるけど、マスターもしくはママがいて、気がついたらお客様と一緒に何か人生や愛について語っているような。そこなんですよ。やっぱり。そういう体験が、大勢で食べて飲むじゃ出来ないわけですよ。大金を払ってセミナーで聴くような内容を、そこで聞くことが出来るのがカウンター遊び。それを知ってほしいと思うんですが、今の若い人はそういう機会があまりないかもしれない。私はそういう機会を存分に与えられた、残念ながら最後の世代。だから、多少わがままなお客様が来ても、70、80歳の人にもビシっと言えるもん。「血圧上がるわよ、飲み過ぎ、はいそろそろ帰って」って。若い子には若い子なりに言うからね。「もう少ししたらまたおいで、おまえ達には早い」って。遊び方を知らないだけで、骨があるなと思ったら、「待ってるから、もう少ししたらまた来なさい」って言うの。

 お客様同士のご成婚だって、覚えてるだけで12~13組ある。男性のお客様がお手洗いに立った時に、「○君て本当に良い子なの~でも女っ気がなくてね~」って褒めてあげるの。そうすると、女性のお客様が気になるでしょ。でも、お店まで来て、自分のことをオープンにできるかどうか、自己開示するかどうかは本人次第なの。私はお母さんじゃないから。カウンター遊びってそういうことなの。

-めっけのお悩み相談コーナーは、どういうときに答えを考えていますか?

 お悩み相談をもらってから、ずっと何て答えようか考え続けて。お風呂に入りながらとか、大根切りながらとか。それでぱっと思い立った時にばぁーと書いて、それを削って削ってっていう作業の繰り返し。もう毎回原稿削るのが大変。でも、私が書かせてもらってることも、25年間お店をやってて、過去の記憶の中でお客様から教えてもらったことや、経験の中から生まれてきたこと。やっぱり25年もやってると、「あの時のお客様もこう言ってた」とか、「この人の悩みはあの人の言ってたことと同じだわ」とか。やっぱり、そもそも悩みのほとんどが人間関係だから。本当に考え出すととまらないの。いつも気がついたら朝になっちゃうの(笑)

伊藤ともん

 雫石町出身。中学で吹奏楽部に入部。以後、トランペット、ファゴット、サックス、フルートと管楽器に親しむ。当時、吹奏楽の強豪校だった大阪の関西大学に進学し、フルートを選択しプロレッスンを受ける。その後、一般企業に就職したが、倒産解雇となり、東京・渋谷にカラオケスナックを開業。その後業態をライブハウスに改め、新橋に移転。その物件が名店だったシャンソニエ「アダムス」の跡地だったことから、シャンソンとの縁を感じ、シャンソン歌手の竹下ユキ氏に師事。2014年、東京の店を閉め拠点を大阪に移し、ライブバーを経営する傍ら、音楽活動を本格的に始動。2016年、初アルバム「赤とんぼ~Dear Friends~」をリリース。2018年、大阪の店はそのままに、35年ぶりに帰郷し、ライブバー「燈門(ともん)」を開業。音楽活動も精力的に行っている。

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