読書は好きだが、「好き」が量を表すものなら「積ん読」はもっと好きということになる。たとえば安部公房の「箱男」。手にしたのは高校の頃だが紙数が増えず、挫折だけが記憶にある

▼腰までの段ボール箱を頭からすっぽりかぶり、都市をさまよう箱男にはモデルがある。東京・上野で迷惑防止を名目にした路上生活者の取り締まりがあった際、実際に段ボール箱に身を包む男を目撃したという

▼男は取調室でも段ボール箱を脱がず、悠々と手持ちの食パンを食べたりしていた。公房は「これだ!」とイマジネーションが膨らんだがテーマはおぼろげ。「後からだんだん分かってきた」と講演で語っている

▼箱に入れば、中は誰でも外から見れば同じ箱だ。「誰でもない」は「誰でもある」こと。それは「極限のデモクラシー」と公房は言う。身分や家格、財産の有無など関係なく、個々人は無名で等価ということか

▼作品が世に出た1970年代は、脱サラや蒸発という言葉が流行語になった。現実は、誰しも何らかのしがらみの中で悩みや苦しみを抱えて生きている。箱男は、一種の憧れとして評判を取ったのかもしれない

▼安倍政権は、先の参院選で「力強い支持をいただいた」と勢いづく。その投票率は24年ぶりに50%を割った。「箱男」が日本の近未来だとしたら。…やっぱり心配だ。